キスから広がる微熱
肩に重みを感じて、目を覚ました。辺りをぼんやりと見回すと、漆黒のグランドピアノが目に入った。一体ここはどこなんだろう?まだ覚醒していない頭で、今の状況について考える。
ピアノ…そういえば、突然ラザフォードに呼び出されたんだった。でも、来たらあいつはピアノを弾いていたから、それでソファに座って聞いて。そうしているうちに寝ちゃったのか。
ここで初めて自分の左側の存在に気がついた。肩に感じていた重みの正体、それは私をここへ招いたラザフォード本人だった。私の左肩にもたれてすやすやと眠っている。驚いた私は、思わず叫びそうになり、慌てて自分の口を手で塞いだ。
どうしてこいつはピアノを弾き終えた時点で私を起こさなかったのか。それだけでなく、どうして私の隣で一緒になって寝ているのか。
起こさなかった理由は何となく、推測がつく。多分、今の私がこいつを起こさない理由と一緒。気持ちよく寝ている人というのは、なかなか起こしにくいものだ。でも、隣で寝ている理由は分からない。私なら、相手が目を覚ますまで、何か別のことをして自然と起きるのを待つ。今現在のように身動きの取れない状況なら、ひたすら待つしか出来ないけど。
ラザフォードの白くて長い指が、ふと目に留まった。基本的にはむかつくところが多くて、こいつは嫌な奴だと思うけど、ピアノだけは別だ。自分と同じブレードチルドレンなのに、どうしてあんなにも綺麗な音楽を生み出せるのだろう。こいつのピアノには、良くも悪くも心揺さぶられることが多い。
私は自分の手を、そっとラザフォードの手の隣に並べた。こうやって比べると、こいつの指の白さ、長さが際立つ。私の指とは全然違っている。この指からなら、あの音色が奏でられるのも納得できる気がした。
「ん…」
これまで身動き一つせずに寝ていたラザフォードが、突然目を覚ました。私は慌てて隣に置いていた手を引いた。
「お、おはよう。よく寝てたね。」
「ん、ああ。お前の寝顔を見ているうちに俺も寝てしまったんだな。すまない…何もすることがなくて、退屈だっただろう?」
まだ少し眠たいのか、ラザフォードは小さく欠伸をした。
「いや、まあ考えごととかしてたし、別に退屈じゃなかったよ。」
「考えごと?」
「そう。どうしてあんたが隣に寝てるのかとか、あんたの指が綺麗だなとか。」
「指?」
「そう、指が―…」
言ってしまってから、自分がとても恥ずかしいことを言っていることに気がつく。こんなこと、自分の心の中で留めておくことであって、けして他人、ましてや本人になんて言うべきことでは無いのに。
「俺の指なんかより、よっぽどお前の指のほうが綺麗だと俺は思う。」
そう言って、ラザフォードは私の左手を取った。さらに恥ずかしくなった私は、ラザフォードと反対の方角へ顔を向けた。適当に何か言って、その手を振り払ってしまえばいいのだけど、そんなことをすればこいつを傷つけるかもしれないと思ってしまい、できなかった。
「やっぱり、お前の指のほうが綺麗だ。」
指先に、何か柔らかいものが触れる感触がした。不思議に思って思わず振り向くと、ラザフォードが私の手にキスをしていた。
「な、何してるんだ!?」
今度ばかりは、我慢できないほど恥ずかしくなり、ラザフォードの手を振り払った。ラザフォードは私の行動が理解できない、という表情をしている。
「何をそんなに驚いている?お前の指が愛しいと思ったから、キスをしただけだ。」
こうやって、さらりと恥ずかしいセリフを言ってのける。こういうところも、私がこいつを嫌いな理由の一つだ。これ以上、ここにいてもこいつのペースに飲まれるだけだと判断した私は、ソファの脇に置いてあった鞄を取った。
「今日は、もう帰らせてもらうから!用事があるならまた今度、日を改めてにして。」
ラザフォードが何かを言おうとしているのを無視して、部屋を出た。あいつが触れた左手はまだ熱くて、当分冷めてくれなさそうだった。