空に捧げるHappy Birthday
新年の挨拶をしたのがついこの間のことのように思い出せるのに、いつの間にか今年も残り一ヶ月になってしまった。煌びやかに飾られた店先、幼いころから何度も聞いたクリスマスソング。端のほうから少しずつ、街はクリスマス色に染まりつつある。本来の意味を違えてしまったかのように騒ぎ立てるクリスマスはあまり好きでは無いけれど、イルミネーションやオーナメントなどで綺麗に飾られた景色を見るのは嫌いじゃない。
いつもは冷たい風に急かされて真っ直ぐ帰るのだけれど、今日は少し寄り道をする。大通り沿いにある、小さな洋菓子店。チーズケーキが特に美味しくて、お気に入りのお店だ。
「いらっしゃい。」
大柄な奥さんが笑顔で出迎えてくれた。つられて私も笑顔になる。
ショーケースに並べられたケーキを見ると、どれも色鮮やかに輝いていて心が少し揺らいだ。けれど、その誘惑には負けず、初めから決めていたものを指差した。
「この苺のホールケーキをお願いします。」
「あら、珍しい。今日はお祝い?」
何度か通ううちに顔馴染みになった奥さんは、私がいつも一つだけケーキを買うことを知っているので、不思議そうに尋ねてきた。
「ええ。どこのケーキを買おうか考えた時に、一番に浮かんだのがこちらだったんですよ。」
「それは嬉しいね。ひょっとして、そのお祝いっていうのは恋人の誕生日だったりするのかい?」
「まあ、そんなところです。」
私が曖昧に笑って、そう返すと「二人で食べるには丁度良いサイズだろうよ」と奥さんは笑って言った。
本当のことを話すと、詳しく理由を追求されそうだったのでごまかしたが、正確に言うと今日は「恋人」の誕生日では無い。そして誰かが訪ねてくる予定も無い。一人でお気に入りのグラスにシャンパンを注いで、このケーキを食べて今日を祝うのだ。あの放課後に交わした約束を守るために。
「はい、おまたせ。またよろしく頼むよ!」
奥さんが渡してくれたケーキの箱を、しっかりと握ると店を出た。冷たい風が私の身体に突き刺さる。自然に歩くスピードが早くなる。
約束を交わした放課後は、何かが特別というわけでもない、普通の日だったと思う。確か私はパソコンで作業をしていて、彼はお菓子作りの本を眺めていた。
「鳴海さん、これ、これにしましょう!」
ひよのは歩の後ろから顔を覗かせて言った。ひよのが思いっきり笑って言うのとは対象的に、歩は眉をひそめた。
「これにするって、何の話だ?」
「何って、鳴海さんの誕生パーティーにどのケーキを作るか考えていたんじゃないんですか?」
自分の話すことが当然だという態度で、ひよのは言う。
「誰もそんなこと言ってないし、そもそも誕生パーティーって何のことだ。」
「もうすぐ、鳴海さんの誕生日でしょう?だから、鳴海さんがケーキを作って、私が紅茶を入れて。それで鳴海さんお誕生日おめでとうって楽しく過ごすんですよ。」
ひよのはその光景を思い浮かべているのか、目を閉じてうっとりとしている。光景に対してではなく、歩の作るケーキに対してうっとりしているのかもしれないが。
「祝われる奴がケーキを作るなんて聞いたことないぞ。」
ひよのの様子に、歩はすっかり呆れ顔である。
「でも、祝う人がケーキを作らなきゃいけないとも、聞いたことないでしょう?こういうのは得意な人が得意なことをすればいいんです。鳴海さんはケーキを作るのが得意で、私は紅茶を入れるのが得意。上手く役割分担できてるじゃないですか。」
この様子だと、どう言っても歩はひよのに勝てそうに無い。それどころか、下手に反論するとケーキを作るだけでは済まされなくなりそうだった。歩はため息をついて、見ていた本をひよのに差し出した。
「ほら。どれがいいんだ?」
「さすが鳴海さん。話が早いですね。」
ひよのは歩から本を受け取ると、早速ケーキの選別に入った。やっぱり誕生日ケーキなんだから苺ですよね、などと独り言を言いながらとても楽しそうにページをめくっている。そんなひよのを横目に、歩は小さく呟いた。
「そもそも俺の誕生日なんて、兄貴と違って祝う価値なんてないんだけどな。」
これまでの歩の誕生日は、どれも清隆のオマケでしかなかった。世界的に有名な清隆。彼は大勢の人から祝われていた。誕生日パーティーが盛大に開かれることもあった。しかし、歩も同じ日に生まれているというのに、歩を祝うのはせいぜい清隆ぐらいだった。
「そんな、祝う価値がないなんて決め付けないでください。」
ひよのはケーキを選んでいた手を止めて、強い口調で歩に反論した。普段のひよのとは違う強い物言いに、歩は思わずひよのの方を見た。ひよのの瞳には強い光があり、じっと歩を見つめている。
「例え、他の誰もが価値がないと思っていても、鳴海さん自身までもがそう思っていたとしても、私には価値あることなんです。貴方が生まれてきて、私と出会って。私は今、とても楽しいです。毎日がとても輝いています。私は貴方が生まれて来てくれたことに感謝したいと思っています。」
歩とひよのの視線がぶつかり合う。歩の瞳には幾ばくかの疑問が浮かんでいたが、それでも目を逸らすことはなかった。いや、ひよのの眼差しの強さにそらせなかったと言う方が正しいのかもしれない。
ふいに、ひよのが歩の疑問をはらうかのような笑みを浮かべた。そして、とても優しく包み込むかのような声で言った。
「ねえ、鳴海さん。一つ私に約束をさせてください。」
「約束?」
「はい。私にこれから毎年、鳴海さんの誕生日をお祝いさせてください。私はこの先、何があっても鳴海さんの誕生日をお祝いします。例え、鳴海さんと一緒にいなくてもです。だから、自分でも誕生日を祝ってあげてください。」
この先、彼の誕生日を祝い続ける。そう約束したことははっきりと覚えていて、今日もこうやってケーキを片手に家路に着く。けれど、あの時結局どのケーキを選んだのか、誕生日当日にはどうやって祝ったのかは、もう思い出すことが出来なくなってしまっていた。
本当に大切な日々だったから、輝きを残したまま記憶していける自信があった。けれど、実際は時間を重ねるにつれて、鮮明だった記憶が少しずつ曖昧になっていっている。引出しの奥の写真と、私の記憶、先に色を失うのはどちらだろうか。
それだけでは無い。いつの日からか、彼の名前を口にしても胸が痛まなくなった。記憶だけではなく、あんなにも激しかった想いさえ、消えてしまうというのか。その事実を認めたくなくて、私は彼の名前を呼ぶのをやめた。
記憶も想いも消えつつあるけれど、約束だけは消えずに確かに残っている。あの時は、彼に誕生日の貴さを覚えていてもらいたい一心で約束したのに、結果としてそれに救われているのは他の誰でもない、私自身だ。まさか過去の自分にこうやって感謝する日が来るなんて、夢にも思わなかった。
だけどこの約束も、いつかは儚く消えゆくのだろう。人間とは忘れる生き物だから、それは仕方がないことだと理解している。ただ、素直に受け入れることができないだけで。
作品名:空に捧げるHappy Birthday 作家名:桃瀬美明