天上の青2
「手紙。これから渡しに行く」
マスターはそう言って、丁寧に便箋を畳んでから封筒に入れ、鞄の中にしまった。
「あいよ」
「はい」
私は、マスターが差し出した鞄を受け取る。
何所に行くんですか?とか。
誰に渡すんですか?とか。
どうせ聞いても答えてくれない主人に、ひそかにため息をついた。
「いくぞ、カイト」
「はい」
それでも、もう一度名前を呼んでもらえるのが嬉しくて、私は、マスターの後を追う。
マスターが向かった先は、この辺りでは、割と裕福な家。
手入れの行き届いた庭を抜け、玄関にたどり着いた。
コンコンと扉を叩くと、やつれた顔の若い男性が出てくる。
マスターは、いつもかぶっている帽子を持ちあげて、
「初めまして。死神です」
と言った。
「はあ?」
青年は、疲れた顔をマスターに向けて、
「悪ふざけなら、余所でやってくれ。今は付き合ってる気分じゃない」
「お父様の魂を、お迎えにあがりました」
閉まろうとした扉が、マスターの一言で止まる。
「・・・誰を迎えに来たって?」
「お父様の魂を」
マスターがもう一度繰り返すと、彼は、急に甲高い笑い声を上げて、
「そうか!それは残念だったな!!オヤジなら、つい先日、見送ったばかりだ!!」
「そうですか」
ニコリともせずに答えるマスターに、男性は喉の奥で笑いながら、
「面白いな、あんた。こんなに笑ったのは久しぶりだ・・・。ああ、こんなところに突っ立ってないで、中に入ったらどうだ?」
男性が扉を開けたので、マスターは、会釈して家の中に入っていった。
私も、慌てて後を追う。
男性は、私達を客間に通すと、
「何がいい?ワイン?ブランデー?ウィスキー?」
「いえ、仕事中ですので」
マスターが丁寧に断ると、男性は、また甲高い笑い声をあげる。
「そうか!あんたは死神で、オヤジを迎えに来たんだっけな!!まったくご苦労なこった!!それなのに、当の本人は、あっけなく死んじまってんだからな!!」
彼は、自分のグラスにウィスキーを注ぐと、一気に飲み干した。
「ご病気ですか?」
マスターが聞くと、男性は口元を拭い、
「あんた、死神なんだろう?オヤジが何で死んだかくらい、知ってんじゃないのか?」
「いえ。私どもは、死因に興味はありませんので」
淡々と答えるマスターに、男性は、ウィスキーを注ぎながら、
「だったら、何に興味があるんだ?あんた、オヤジの魂を迎えに来たとか言ってたな?オヤジがまだ、この家に留まってるっていうのか?愚か者の息子が、大事な大事な屋敷を手放すんじゃないかって」
自嘲気味に笑いながら、琥珀色の液体をあおる。
マスターは、その質問には答えず、
「その他にも、お届けものがあります。カイト、例のものを」
マスターの言葉に、私は、鞄から手紙を取り出して、男性に差し出した。
「何だ?手紙?」
「お父様からお預かりしました。間違いなく、あなたにお渡しするようにと」
しゃあしゃあと嘘をつくマスターに、男性は、震える手で手紙を受け取る。
男性が、もどかしげに便箋を引っ張り出すのを確認してから、
「では、我々はこれで。あ、見送りは結構ですから」
マスターは立ち上がると、さっさと客間を出て行った。
「あ、し、失礼します」
私も、慌てて頭を下げると、マスターの後を追う。
後ろから聞こえた、押し殺したうめき声に、思わず振り返ってみれば。
男性が、手紙に顔をうずめ、声を殺して泣いていた。
外に出ると、マスターが空を指差す。
つられて上を見上げれば、ほのかな光が瞬いて、ふいと消えてしまった。
今のは、マスターが迎えにきた、父親の魂なのだろうか。
「マスター、あの手紙には、何と?」
「ああ、あれな」
マスターは、人差し指を立てて、自分の唇にあてると、
「人様の信書を覗き見るなんて、褒められたことじゃないぞ、カイト?」
「・・・・・・・・・・・・」
結局、この人は、何も教えてくれないのだ。
私は、密かにため息をついた。
「さーて、次、次。今日は予定が詰まってるからな」
「はい」
何処に行くのか、とか。
何をするのか、とか。
何も教えては、くれないけれど。
「行くぞ、カイト」
この人が、私の名前を呼んでくれるなら。
「はい、マスター」
何処まででも、ついていこう。
あなたの、御心のままに。
終わり