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ふうりっち
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novelistID. 16162
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高名なる我よりその証を授かりたくば

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■タイトル
『高名なる我よりその証を授かりたくば、汝、ひざまずき、頭(こうべ)を垂れよ』



 冬は陽が暮れるのも早いが、この時期の寒さは言葉にならない。
 そんな夜更け。キッチンの壁掛け時計の針は、まもなく深夜十二時を指そうとしている。けれど煌々と灯りの点いたキッチンでは、オーストリアが菓子作りに没頭していた。

「あとは、刻んだチョコを湯せんすれば…」

 既に焼きあがったスポンジの様子を伺いながら次の作業に移る手際に無駄はなく、いつもながら惚れ惚れとする手さばきだ。しかも、今日に限りキッチンが無傷。
 菓子作りが好きな元貴族がキッチンに立つ時、それは小規模な爆発音と共にキッチンを壊滅状態にさせる傾向があるが、今夜は平穏無事。
 これは何かの前触れか、それとも気まぐれな神の悪戯か  そんな疑念を抱かせるオーストリアの破壊工作……菓子作りは滞りなく進められていた。

「やはり、この瞬間が一番落ち着きますね」

 溶けたチョコを混ぜるときのなんともいえぬ至福のひと時をオーストリアは堪能しながら、思わず呟く。
 どれだけ自分が不利な状況に陥ろうとも決して揺るぐことのない鋭利な眼差し。それは彼を際立たせる美しいアメジスト色であって、なおかつ相手を一瞬で畏怖されるほどの威力を放ち、オーストリアを冷徹無慈悲な存在として誇張さえる。
 けれど、今は別人のようだ。
 滑らかに蕩けたチョコの艶を見つける双眸は、いつになく穏やかで、表情は柔和。普段の冷徹さは微塵も感じさせない。こんな風に意図も簡単に表情を変貌させるのは、この甘い香りのせいか、単純であっても奥の深い菓子作りの手法がそうさせるのか。
 そして、作業に集中することで心休まるという美点については、家主と話があう。今は仕事が忙しく、滅多にキッチンに立つことがないここの家主も、お菓子作りが好きであった。

「……そういえば、今夜は遅いですね」

 テンパリングする手を止め壁時計を見上げれば、時計の針はもうすぐ翌日を指そうとしている。

「遅くなると言ってましたが……」
「悪い、連絡を入れ忘れていた」
「ドイツ!」

 驚愕を含ませた透き通るような甲高いオーストリアの声と重なるように、低音の声がキッチンに響いた。

「お帰りなさい、遅かったですね」

 無事の帰宅を安堵するように胸を撫で下ろし、オーストリアは口端に穏やかな笑みを浮かべて振り返った。すると、まだコートを着込んだままのドイツが重厚なブーツの底を鳴らし近付いてくるのがみえた。

「帰り際にちょっとな……それより、何の真似だ?」

 オーストリアがキッチンに立っているのに内装が無事である事を懸念する一方で、作業台の上を見つめれば、湯せん途中のボールから独特の甘い香りが漂ってきた。

「チョコか?」
「ええ、明日はバレンタインだと言ってハンガリーにねだられたから作ってるんですよ」
「……俺のは?」
「ありませんが」

 いつものようにオーストリアが抑揚なく答えれば、目の前の屈強な若者は碧き瞳に落胆の色を浮かべ、肩を落とすのが分かった。
 その変貌ぶりは、先ほどまでの威風堂堂とした姿からは想像もできない。軍人としての出で立ちは成りを潜め、いまは情けないほど貌を曇らせ、意気消沈の眼差しをむけていた。
 たかがチョコですよ、その言葉を呑み込むとオーストリアは薄笑いが張り付く口端を引き締めた。 

 ―――かわいい弟分。

 それがドイツに対してオーストリアが抱く感情だった。昔からドイツの兄とは反りが合わない、いや一方的にあちらが敵対心をむき出しにしてくるので否が応にも対立を強めてしまうが、彼の弟であるドイツとは共通の趣味もあるせいか仲はいい。
 なにより、厳つい性格を全面に押し出す弟分をついからかってしまうのは、兄のようにこれまで振舞ってきたせいかもしれない。

「もしや貴方も欲しかったのですか?」
「いや、なんでもない…今のは失言だ、忘れてくれ…」

 頭ひとつ低いせいか、視線を掬い上げるオーストリアから逃れるように視線を外すと、ドイツは慌てて口許を覆いながら言葉を濁す。
 しかし、その表情が晴れることはない。視線が泳いでいるのが、その証拠ともいえる。

「ではチョコの変わりに、私では不満ですか?」

 ボールの中で蕩けたチョコを上唇に塗ると、年上の余裕を見せ付けるようにオーストリアは柔和に笑ってみせた。その様子に一瞬、言葉の意味を理解できず呆気にとられていたが、ドイツは無意識に生唾を飲み込んだ。