拿(とらえる)
親殺し。下剋上の有り得る世といえど、肉親の弑虐はまだ耳に障る話ではある。とりわけ、雛ではその風潮も強かろうと思われた。何故そのような地に生まれた男が、弑虐など犯したのだろう。
忍を自ら使役するようになっても、真相は判然としなかった。雛は冬の内に噂が蔓延して、主旨を見失うまでに肥大する土地であったからだ。誇張と擁立が煙って何も見えぬ。だが会ってみれば話は早かった。どちらの話も真、それだけだ。
初めて会った時、家康は畏れに似た震えを覚えた。揺らぐことなき笑貌は、信長公と同じ人ならざる気概を思わせた。だが対照的に、彼の率いる戎(つわもの)たちの気性は熱かった。「ああ、そういうものか」と、家康の胸に涼風が吹き抜ける思いだった。「大将とは怒りに笑い、涙に笑い、笑いに吃度するものぞ」という、家康の師の言葉がそのまま在る。青天に霹靂を描いたその背は、頼もしく、ただ大きくのみ見えた。
「独眼竜」
だが、今は違う。久しく見えて、家康はその背を頼もしく、大きく、そして華奢と見た。天下に高く聳え立つための孤高。幼い家康が憧れたものは、その本質を孤独とするものだったのだ。
親殺し。それは誰にとっての慈悲で、誰にとっての無慈悲なのか、考えればすぐにわかることだった。彼は決して無慈悲ではない。彼は、取捨選択を免れぬと悟った時、常に”民から遠いもの”から捨てていく。そういう男だったのだ。そういう男だから、尊くも無鉄砲に映る。
「独眼竜」
「Ah?」
「死ぬなよ」
政宗は笑みを失くし、顔を繕うのも忘れて此方をみやる。兜と眼帯に覆われた僅かな隙間から、酷く驚いた様子の独ツ眼が覗いていた。それを静かに、家康は見詰め返す。ややあって。彼は決まりが悪そうに兜の緒を直し、さりげなく目を影に隠した。
「当然だ」
「ああ、当然だ。生き残れ」
「………やれやれ」
見逸れた、と言うように肩を竦め、再び顔を上げた彼は一笑していた。重荷を一時置き忘れたような、覚悟から一拍空いたような、親しい笑みだった。家康も靄然と笑い返す。そして彼は、踵を返した。
征く背中を見て思い出すのは、家康と同盟を結んだ時の、安堵したような彼の顔。これで後ろの憂いは無くなった、とでも言いたげな、軽い足取り。
もしも、三成や真田が此方の本陣を目指そうとすらば、彼は命を賭して行く手を阻むだろう。この関ヶ原を、死して構わぬ土地として見ているだろう。それは、片倉を自ら離して配した布陣からも知ることができる。家康ならば、家康が生きれば己が民は救われると信じて。彼は、民から遠いものから捨てる人だ。
「死なせはしない」
政宗は怒るかもしれないが、西軍と伊達が接触したと聞けば、直ぐさま本陣を飛び出し加勢に向かう腹積もりである。
「死なせはしないさ」
強く念じながら、家康は遠くに響く鬨の声を聞いた。
100917 天草