ロックストック小ネタ
「何て言ったんだ?」
「腹を出せ」
聞き間違いも二度目となると確認するのが躊躇われたが仕方ない。
「何を出せって? 俺には『腹』って聞こえたんだが」
「俺は『腹』って言ったんだからそれであってる」ソープは眉根を寄せて迫った。「ほら」
ほらも何もなかった。トムは自分の腹を見下ろして、次にソープの顔を見て、いくらだって見せてやってもいいといえばいいのだが、けれどシャツの裾に手をかけはしなかった。「……必然性がない」
「あるだろ」
「ないぞ」
「見ないとわからないだろ」
「何がだ」
「お前の主張に正当性があるかどうか」
「主張?」
「いつも言ってるじゃないか」ソープはちらりと嘲笑めいた笑みを浮かべた。「俺はデブじゃないって」
それはソープをはじめとする三人が、トムのことをデブ呼ばわりしてやまないからである。トムは過信ではなくこの中では自分が最も痩せていると思っており、そんなのは火を見るより明らかだと思っている。なのに執拗に嫌がらせを続けてくるのは一体何たることなのか、とも思っている。更には腹を見せろだなんて、まったくもって不可解であった。あの事件以降自分たちが彼につけた『ソープ』という呼称はどうやら本質を見誤っていたらしいと感じていたが、それにしたって不可解だった。
「まさか」とトムは声を震わせた。「俺の腹の皮をはぐつもりじゃないだろうな。あのクソでかいナイフで、クロコダイルの皮をはぐように」
「バカ。お前のぶよぶよした皮なんて一銭にもならないだろうが」
「ぶよぶよなどしていない」
「してるさ。デブの皮は決まってぶよぶよしてるもんだ」
「俺はデブじゃない、極めてスキニーだ」
「どうかな」
頭から信用していない口振りだったので、
「そんなに言うなら見りゃいいだろクソ野郎」
トムは唆されるがままに服をめくりあげてしまった。隆々とした筋肉に覆われているとは言わないが、ぶよぶよはしていないし無駄な脂肪もほとんどついていない。イギリスの肥満率を考慮すれば優秀すぎるくらいだろう。ソープは腰をかがめ、至近距離からまじまじと覗きこんできた。
「……最初からそうしときゃいいんだ」
そして薄っぺらいな、と事実に即したコメントを漏らした。息をつめて下腹に力を入れていたために言葉でもっては答えられず、そうだろう、と言うように頷いてみせるのが精一杯だった。そうだ、俺は薄っぺらいんだ。しかと網膜に焼き付けてくれ。
しかし次の瞬間、「ぎゃっ」と踏みつぶされた猫さながらの声を発したトムは呼吸を再開せざるをえなくなり、少しでも引き締まったおなかまわりを演出しようという見栄はふわふわの泡と化した。ソープがむんずと臍付近の肉を掴んだのだ。
「ヘイ!」
ふん、とソープは鼻を鳴らした。
「つまらない見栄を張りやがって。ほら見ろ、十分柔らかいじゃないか」
「お前がくすぐるからだ!」
「さわっているだけだろ、ごく紳士的に」
友人の腹の皮をひっぱったり叩いたり伸ばしたり揺らしたり、というのは紳士たる人物のすることではない。ただの変な奴だ。いっそ変態と形容してもいいかもしれないほどあんまり熱心にさわってくるもので、トムはそわそわと落ち着かなくなってきた。
「も、もういいだろうが」
「……まずそうだな」
「バカ、俺は食いもんじゃない、ふざけた真似はよせ――」
今にも食らいついてきそうな頭を引きはがそうとしてカーペットに躓き、トムはソファに倒れ込んだ。ソープもセットでついてきた。つまり、何だか押し倒されているみたいな格好になった。しかも、トムは腹部を露出していた。通りすがりの観客を歓迎できる状態ではなかった。だがタイミングというものはえてして悪いものである。
「――何してるんだ?」
エディとベーコンが戸口に立っていた。微妙な沈黙が四人を覆った。
「ひょっとして……」
二人は路傍で立ちションする女でも見るような、まずいところに居合わせてしまった、さっきの角を左に曲がるべきだったなあ、みたいな視線をひとかたまりになったソープとトムに注いでいた。いやいやいや変な勘違いはよしてもらおうかヘイユーファッキンガイズんなわけないだろちくしょう! 慌てて否定していると、普段あまり声をあげて笑わないソープが、突然げらげら笑い出した。トムも面食らったが、二人は一層不審の色を深めた。必死に叫んだ。
「違う!」
するとベーコンの抱えた茶色い紙袋から真っ赤なリンゴがころんと一つ転がり落ちた。それがやけに鮮やかで、トムはまるで映画のワンシーンのようだと感心してしまった。ちっとも感心している場合ではなかったのだが、ともかく。
作品名:ロックストック小ネタ 作家名:マリ