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愛しの赤色

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どれが夢で現実か?
ぐらぐら揺れる視界には見慣れた緑がちらついている。あれは俺のじゃ、いや、俺の、。
薬を、薬を飲もう。たしか、洗面台にあったか。言うことを聞かずに外に出ようとする足は少し躾をしただけで簡単に大人しくなった。と思ったらただ仕事をさぼりたかっただけらしい。なんだよ、使えないやつ、給料泥棒、クビにしてやろうか、やっちまえ、新しいやつを雇ってやろう。
しかたなく腕を使って移動する。なにかを思い出しそうになる。ゾクゾクと甘い寒気がはしる。鉄の臭いが鼻についた。あぁ、これは妄想か夢か記憶かどれなんだ。現実じゃない。現実は彼女が教えてくれた。真っ赤な色の髪に、泣き腫らして真っ赤な瞳に、真っ赤な水が巡っているのをほんのちょっと力を入れてしまえばきっと暖かいに違いない夢のような光景じゃないかとても焦がれ、
伸ばした手が滑り落ちて顎が痛んだ。なんだよと見ればドアノブは金属の光沢の上にべったりと赤色。クソ、血かウザってぇ。
もう一度ドアノブに手をかければ、今度は滑ることなくしっかりと彼は回り、ドアを開けてくれた。よくできるやつだ。この不甲斐無い足の変わりになって欲しい。努力家の腕と合わさって素晴らしい働きをしてくれるだろう。彼らならきっとあの腐った英雄気取りの喉をぱっくり開いてクッキーを作ればきっと得意のパンを持ってきてくれて楽しいだろう。
ほら、今もまた腕君が頑張っている。あとちょっとだ、めいっぱい腕を伸ばして剃刀を手に入れた。いや、薬だ。これじゃなくて。もう一度やってみて俺は右手に薬瓶を左手に剃刀を手に入れた。蓋をぐるぐると回そうにも滑ってしまってしかたがない。て、、ぁあ?俺の手が血だらけじゃねぇかよ。力を込めれば簡単に赤色が生まれる。ぽたり、ぽた、ぽたた、たたたたたたたたたた。あ、こういうときはそうだ、ずるずる、ずるずる音がして、洗面台からバスルームに。ここならなにしたって大丈夫だ。片付けが楽だから。
バスタブによりかかって蓋を開けて、真っ赤な瓶を口の上で真っ逆さま。じゃらじゃら。歯に当たって遠くに逝ってしまった薬を見送る。口の中にある薬は噛み砕く。苦みが舌に浸透してくる。ごくりと喉の奥につっこむと、一瞬だけ息が詰まったから安心して薬瓶から手を離した。そうだ、手を洗わないと。だけど手は真っ赤なままで動かない。おまえもか、お前もなのか。
手の中の剃刀が揺れる。掌の皺をなぞっていく。赤いインクか?お世辞にも綺麗とは言えない。吐き気がする。薬ですっきり仕掛けた頭がまただめになる。効かないのか。効かねぇ。

「もう慣れちまった。残念だなァ、相棒さんよ」

にやりと笑う顔が目の前にあった。相棒と呼ぶのは俺と同じ顔だ。
真っ赤な手が俺の足を撫でる。

「これ、使わないなら俺にくれよ。やりたい事がある」
「なにをするんだ?」
「あー…塗り絵、ってか?」

ゲラゲラといかにも下種っぽい笑い声がバスルームにこだまする。いっぱいいるみたいに聞こえる?
触られた足がゆっくりと動こうとする。引き止めようかと思ったけどどうせこいつも俺が言っても動かないんだ。それになんだかわくわくして。ばつん、ばつんと目の前を通り過ぎる記憶は真っ赤に染まっていた。それは黒くなる。ざわりと、なにかが蠢く。心臓が動く気がした。甘い誘惑、悪魔の睦言、縋りたい夢、吐き捨てたい現実、足がもぞもぞと移動を始める。ちらりと赤色が見えた。俺の赤じゃない。「フレイキー」呼んだらふわりと消えてしまった。フレイキー。ねぇ、俺は、どうしようもないけど、君の事を、「×したいんだろ」うん「俺が手伝ってやろうか」手伝う?「楽しもうぜ」剃刀が鈍く光る。とても小さい。「充分だ。柔らかいのは知ってるだろ」そうだ、あとすごく脆い。あの華奢な手は握るだけで粉々になってしまいそうで「簡単に×せる」

「いや、」

足がすとんと倒れる。生えた剃刀を引けばもうやる気をなくしたみたいに血を吐きだした。俺は彼女を守りたいよ。壊したくないんだ。愛せなくても、ころされずにしてあげたい。もう、もう、もう、嫌だ。

「あー、失敗したか。つまんねぇな」

剃刀を抜いた手がひらひらと目の前で踊る。それを捕まえても、余裕たっぷりの目が俺を見るだけだ。

「もう、やめてくれ」

その腹に剃刀を突き刺す。力を込めればそれはぐずりながらも横に動き始めてくれた。剃刀で消えるのは彼女だけじゃないんだよ。
どうにかして腹を横断させきると、もう本当に疲れたのか、腕がいつの間にか剃刀を離していた。俺もなんだか疲れたような、頭がぼんやりしてきた。薬が効いてきたか。
瞼もいつの間にか閉じて、真っ暗闇の中で、無理だね、なんて笑い声が聞こえた気がした。
作品名:愛しの赤色 作家名:鈴本糸吉