不機嫌は伝染します
家に帰ってきたフランスは、それはもう大変に機嫌がよろしくなかった。
ガコンだとかバンだとか、そういう物騒な物音を何に憚ることもせずたてながら、フランスはひどく乱暴に歩く。普段自らの振る舞いにとても気をかけるフランスにしては、らしくなかった。
事前に家に行くと連絡してからパリを訪れていたイギリスは、ただ面倒くさいな、と思った。フランスの機嫌が悪いというのは別段珍しいことではないのだけれど(案外普段色んなことに機嫌を損ねている。そうと分かりにくいだけだ)、それを全面に押し出しているのは珍しく、そうしてそういうときのフランスというのは非常に扱いにくい。
「もう少し静かに歩けねぇのか」
「うるさいよ」
1秒と間を空けずに返された答えに、どちらが、とイギリスは胸中で呟いた。口に出さなかったのは、そうすれば本当に面倒くさくなるからである。
「なんかあったのかよ」
今まで、フランスは庁舎に出掛けていた。今日は休日であり、だからこそイギリスはパリを訪れたのだけれど、突然フランスの上司から電話がかかってきたのだ。急用だってさ。そう苦笑しながら数時間前に出掛けたフランスは、ここまで機嫌を損ねてはいなかった。
「別に。イギリスには関係ないでしょ」
フランスは目も合わせない。ソファに偉そうに腰掛けて、空を見つめている。
仕方がないなと胸中呟いて、イギリスはフランスが帰ってくるまでしていた読書を再開した。
しばし、沈黙が部屋に降り立った。別段気まずいものではない。フランスは自分のことで頭がいっぱいであったし、イギリスはそんなことはもうどうでも良かった。
しばらくは泰然として本に向かっていたイギリスだが、4、5ページ先に物語を読み進めたところで空腹が気になりはじめた。腕の時計を見れば、6時をとうに過ぎている。
「おい、髭」
相変わらず空を見つめているフランスに声をかけた。何がそんなに頭にくるのか、と問いかけたくなるような顔をしている。
「……」
返答はない。こちらを見さえしなかった。
無視かこの野郎、いい度胸じゃねぇか。
「聞いてんのかよこらおい」
「……」
「腹減った。飯作れ飯」
それまで無反応だったフランスは、イギリスの催促にやっとイギリスを見た。
「…お前が作れば」
「おう、別にそれでもいいんだが」
イギリスはなんでもなく答えた。そうして、思案する。
「そうだな…確かに俺が作るってのもいいかも」
「……あ、」
「よし、今日は俺が作ってやるよ」
「うそうそうそうそ、俺が作る俺が!!」
「あ゛?」
イギリスが意思を固めたところで、フランスが慌てて止めに入った。イギリスは不機嫌に返事を返す。
「てめぇが言ったんだろうが」
「いや、あれは嘘。いいよ、イギリスずっと本読んでて別に」
フランスはそう言うと、そそくさと立ち上がった。一緒にイギリスも立ち上がる。
「何!?料理は俺が作るからね!?」
「分かったよ馬鹿!!紅茶だ紅茶!!」
「あ、そう…」
そう小さく呟いて、目線を下げたフランスは、ふと何かを考える顔になる。次いで小さく舌打ちをして、髪を乱暴にかきあげた。
随分長く引き摺る輩である、とイギリスは自分のことを棚に上げて思った。面倒くさい奴だなぁ、とも。
リビングを出てキッチンへと向かうフランスの後を追いながら、イギリスは声をかけた。
「お前さ、」
「何?」
「面倒くせぇから早く機嫌直せよ」
フランスは少し黙って、ぼそりと呟いた。
「優しくねぇ奴」
フランスはキッチンの椅子に掛けてあったエプロンを手に取り、器用に髪を結う。冷蔵庫をがさがさと漁りはじめたフランスを横目に、でもな、とイギリスは思いなおした。
やはり、機嫌が悪いままの方がいいかも知れない。気分が悪かったりイライラしていたりすると、フランスはそれを忘れようと料理に打ち込む節があるからだ。
「やっぱりお前さ、」
「イギリスートマトがないー」
言いかけたところで遮られた。その声はいつも通りのフランスであった。
フランスの言い放った言外に、イギリスは明確な意味を感じて、ひく、と頬を引きつらせた。
「…いい度胸じゃねぇか、髭」
「いつものスーパーで、なるべく早くね」
にこやかにユーロを手渡された。