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かみあわない

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N、という知り合いがいる。
 知り合いではないかもしれない。ひょっとしたら彼はわたしを敵だと思っているのかもしれない。ポケモンリーグを目指すわたしの前にいきなり現れて、「ぼくを追うのならチャンピオンリーグを目指せ」と意味のわからないことを言っていた。言われなくてもリーグは目指すつもりだったんだけど、なんだか変なことを言うよねえとパートナーのチャオブーに言ったら「マスターはもっと他人の機微に気を使うべきだと思う」と言うような瞳で見返された。わたしのパートナーはとても優秀だ。
 その街でのジム戦を終え、ベンチでぼんやりとこの後について考えていたときだった。視界の端を見覚えのある若草色がちらついて、ん、と注視したらNくんだった。くん付けしていいのかどうかわからないけれど、とりあえずおない年っぽいのでそう呼んでいる。わたしに気付かなかったのかそのまま通り過ぎようとしたNくんを呼び止めたのは、驚くべきことにチャオブーだった。鋭く鳴いたチャオブーに目を止めたNくんは、そのまま視線を横にスライドさせた後にわたしを見つけてひどく驚いた顔をした。失礼だなあ、と霞のような思考で思った。

「…きみは」
「こんにちは。元気そうだね」
「なぜ、きみとチャオブーはそんなに幸せそうに隣り合っているんだ」
「Nくん、ずっとそうやって動き回ってるの、疲れない? 元気?」
「きみのようなトレーナーに会うたび、ぼくは決意を鈍らせてしまうのに」

 チャオブーが一声鳴いた。思わずそちらを見ると、「話がまったくかみ合ってないんだけど。聞いててイライラするんだけど。あんたたち会話をする気があるの? ないの? 何のために呼び止めたと思ってるの?」と語る瞳とぶつかった。わたしのチャオブーは雄弁だ。

「Nくんは、まじめだねえ」
「きみは不真面目だね。なぜ、なぜそこまでポケモンと近しい位置に立ちながら、その関係に疑問を抱かないんだ」
「うーん、難しい話はよくわからない」

 ポケモンの自由がどうとか、人間のエゴがどうとか、わたしにはよくわからない。そんなことはどうでもよくて、考えるに値しないレベルのことだと思っているから。わたしとチャオブーは隣に立っていて、そこにお互いまったく不満はない。たまに意見の食い違いがあったりするけど、それはそれで妥協点のすり合わせをすればいいだけのことだ。チャオブーは相手の話を聞いてきちんと結論を出せる子だし、わたしは相手の意見を一息に却下するほど意思が強くない。
 だから、Nくんがいつも言っているような「解放」という言葉は、じわりとにじみだすような違和感しかわたしに伝えてこないのだ。

「チャオブー、きみは彼女の隣で幸せそうだね」

 その言葉を聞いたチャオブーが「当たり前でしょう。わたしはこの子を選んで、この子と一緒に旅をしていろんなものを見ることに対して不満は一つもない。この世界はそう言うポケモンたちであふれていて、あんたたちがやっているのは自分たちの傲慢な理屈で単純に自分の思い通りにならないものを屈服させているだけなんだよ」と、そう言うニュアンスを込めて静かに一声鳴いた。Nくんはチャオブーが言いたかったことをおおむね正確に理解したらしい。あいかわらず、この子は正論を正論として行使するのにためらいがないなあとわたしがぼんやり二人をみていたら、彼は心臓を撃たれたような顔で「それでも」と抗弁した。もはやわたしはチャオブーの横に漂う空気中のチリみたいな存在になっている。
 難しくて面倒な話は、考えたら考えた分だけ悲しくなるので考えないようにしている。

「…だけど、世界にはポケモンを不当に虐げる人間が多すぎる。ぼくはゲーチスに任された英雄として、すべてのポケモンと友達になりたい。モンスターボールなんて、きみたちを縛る鎖でしかない」

 それはあなたの主観でエゴだ、とチャオブーが鳴こうとしたのを半ば遮るような形で、わたしは目の前でひらひらしているNくんの服の裾を引っ張った。二人分の思慮深い瞳がわたしを見る。

「Nくんは、やさしいんだね。だけど、こんな言葉を知っている?」

 小さな親切大きなお世話。ほとんどささやきのような声で吐き出したら、今度こそはっきりとNくんは刺された顔をした。横でチャオブーが満足げに鼻を鳴らす。
 もういいだろう話はここでおしまいだろうと言うような態度でチャオブーはわたしをおいて歩き出して行ってしまった。街を出る前にもう一度ポケモンセンターに寄りたかったのに。さくさくと歩いていくチャオブーを小走りで追いかけるわたしの背中で、Nくんは少し黙った後に厳しい声音でわたしの名前を呼んだ。チャオブーが足を止めたのをみて、わたしも体半分だけで振り返る。開いた距離は10歩分。少しうつむいた彼の表情は、間深にかぶった帽子のせいでよく見えない。

「ぼくは、それでも、すべてのポケモンたちを解放しなければならない! すべてのポケモンたちを幸せに、ともだちにしたいんだ!」

 わたしは一瞬沈黙した。それを続きを促すのと受け取ったのか、Nくんは声のトーンをわずかに落としてぽつぽつと続ける。

「……きみは、きみたちはぼくたちを止めようとする。それはもうわかりきったことだ。きみたちはきみたちのプライドで、ぼくたちを追う。ぼくたちも、それを誇りを持って受け止めよう。きみが、いつかぼくの前に立ちはだかることを待ってるよ」

 言いたいことはそれだけだったらしい。ふいときびすを返して立ち去っていったNくんの背中はだんだん小さくなって、一番手前の角を曲がって消えてしまった。チャオブーがとことこと歩み寄ってくる。
 矛盾している、といつも思う。プラズマ団、と名乗った彼らは、きっとわたしたちから隠れて行動した方がずっと動きやすいはずだ。なのに、方々で面倒な事件を起こしてはジムリーダーさんやチェレンと衝突している。わずらわしそうにわたしたちを排除しようとする半面、トップ(推定)のNくんは、むしろわたしやチェレンの妨害を待っているような発言さえする。彼らは何がしたいのだろう。チェレンのように強さを求めるトレーナーも、ベルのようにポケモンと一緒に旅をすることを楽しんでいるトレーナーも、果てはまったくバトルなんてしない一般人からも、「解放」と称してポケモンを奪い取っていく。わたしはチェレンほど熱血漢ではないからあんなにカッカと憤ることはないけれど、やっぱり、ポケモンと人の関係を力任せにぶち壊すのは間違っていると思った。そう思ってしまった以上、わたしは彼らを止めなければいけないのだろう。

 どちらにせよわたしはチャンピオンリーグを目指すし、プラズマ団────Nくんはその道のりの上にいる。そこでわたしの邪魔をするというのなら、お望み通りチャオブーと蹴散らすだけだ。Nくんのぐらぐら揺れる瞳を思い出しながら、わたしはそんなことを考えていた。


 チャオブーがわたしを見上げて「ねえまだ行かないの」と言いたげに足を踏み鳴らす。痺れを切らしたらしいパートナーに笑いかけて歩き出し、頭のはじっこの方でNという少年の認識を書き換えた。

 ────64式小銃みたいな人だ。
作品名:かみあわない 作家名:ひわだ