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【APH】その一言が言えない。

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怖い夢を見た。

 幼い、自我が芽生えた頃に見ていたものとは違う。
 目の前の大事なひとが、「さよなら」と笑いながら足元から消えてゆく夢。
 伸ばした手は、いつも届かずに空を掴んだ。



 
 ドイツは悲鳴を上げて飛び起きる。全身を冷たい汗が流れ、身震いして寝覚めの悪さを払うようにバスルームに向う。
 夢を忘れようといつも通りに洗濯機のスイッチを入れ、シャワーを浴び、着替えて、朝食の支度をする。食卓に昨日プロイセンが買ってきたフォルコロンブロートとチーズを数種並べ、後はバイエルンからもらったヴルストを茹で、皿に盛る。プロイセンがコーヒーを淹れてくれれば、いつも通りの朝が、一日が始まる。

 ドイツは時計を見やる。時刻は六時、十分前。

 犬たちのケージのあるリビングを確認する。…今日はプロイセンの姿はここにはない。昨夜はちゃんと部屋に戻って寝たらしい。シャワーで洗い流せなかった不安を払拭しようと二階にあるプロイセンの部屋にドイツは足を運んだ。

「兄さん?」

ドアをノックしても返事がないのはいつものことだ。ドイツは勝手に部屋に入る。朝日の薄く差し込む部屋は暗く、寝室は雑多なもので溢れ、散らかっていた。

…ったく、一昨日、片付けさせたばかりだと言うのになんでこうも直ぐに散らかすんだ。兄さんは。

ドイツの眉間に皺が寄る。

「兄さん…」

シーツから覗くのは色あせた油気のない髪。頭の先まですっぽりと丸まって眠るプロイセンはまるで猫のようだとドイツは思う。ブランケットを少しだけ捲り、その猫のこめかみから指を差し入れ、その髪を梳く。
(…冷たい…)
冷えた髪。ドイツは色素の抜けた睫毛が影を落とす頬を撫でる。プロイセンはもにゃもにゃと口を動かし、へにゃりと笑うと懐くように擦り寄ってきた。それにドイツは赤面する。
「…兄さん、起きてくれ」
手のひらが温かいからか、ぐいと手首を掴まれプロイセンはドイツの手のひらに頬を押し当て、ぐりぐりと懐く。ドイツは息を詰める。抵抗しない手のひらに満足そうに口元を緩めると、プロイセンはまた寝息を立て始めた。それにドイツの頬は上気していく。
(落ち着け。落ち着くんだ、俺!兄さんは寝惚けているだけだ!!)
恥じらいだとか、理性だとか、ときめきだとか、可愛いだとか、ぽろりぽろりとドイツの中を転げ落ちていく。奈落へと落ちていきそうな理性と自律を落ちていく寸前で拾い上げ、ドイツは溜息を吐いた。
(…解っててやってるとしたら、本当に性質が悪い…)
ずっと前から、叶わぬ恋をしている。それが恋だと気付いたのは、プロイセンが自分の手元に漸く戻ってきてからだ。だが、それを告げることはない。言えるはずもない。

 好きだ。

と、告げたとしても、プロイセンは同じように嬉しそうに、同じ言葉を返すのだろう。でも、「好き」の意味が違う。その違いに自分以上にそんなことには鈍感な兄が気付くはずがない。家族というフィルターが掛かっているなら尚更だ。ドイツは溜息を吐く。

 ずっと…。

この兄は献身的と言ってもいいほどに自分に尽くしてきた。それに自分はどれだけ甘えてきただろう。

 好きだ。

と、抱きたい言えば、葛藤の果てにこの兄は自分に己の身体を差し出すのだろう。…でも、それでは駄目なのだ。…そして、彼のすべてを欲しいと思いながらすべてを手に入れることが怖いと思う。この兄は自分と融合することを望んでいると俺は知っている。そうなったとき、彼はどうなるのだ?

 消えてしまうのではないか?

そんな恐怖を百年以上前から、今もずっと抱えてる。

 一度目は、最初の統一のとき。
 二度目は、大戦でプロイセン王国の解体宣言が出されたとき。
 三度目は、ベルリンの壁が崩壊し、東となった兄が融合される形で再統一を果たしたとき。

兄を失うことがいつだって怖かった。

 周りの人々が、重荷だと、負の遺産だと兄のことを言う。

それが何だと言うのだ。このひと無しに俺はここにはいなかった。だから、思う。何故、兄は自分が「ドイツ」にならなかったのかと。兄が「ドイツ」になっていたならば、歴史は大きく変わっていただろう。でも、それを兄に言うのは兄を否定するのも同然だ。

「…兄さん」
「…何、泣きそうな顔してるんだよ?」

呟きに掠れた声が重なる。手のひらに頬を懐かせたまま、眠そうな赤い瞳がドイツを見つめる。ドイツはプロイセンを見つめた。
「…怖い夢でもみたか?」
頬を撫でる指先。昔は暖かかった。今はひんやりと冷たい細い指先を愛おしいとドイツは思う。
「…兄さんが」
「俺が?」
「いなくなる夢を…」
「…いなくなったりしないぜ」
「…本当にか?俺には兄さんが必要なんだ」
プロイセンは何も言わずに、ドイツの整える前の頭をくしゃりと撫で、抱え込むように抱き寄せる。それにドイツは腕を伸ばし、細くなってしまったプロイセンの身体を抱き寄せ、心音を聴く。プロイセンが刻む鼓動は子守り歌のように心地が良かった。それに竦んだ心が静まっていく。

「…お早う。ヴェスト」
「おはよう。兄さん」

頬に交互にキスを。漸く、いつもの顔に戻ったドイツの腕が離れていくのをプロイセンは見やり、小さく息を吐いた。

「…必要、か」

「?、何か言ったか?」
「いいや。…今日の朝飯、何だ?」
シーツを跳ね上げ、プロイセンは起き上がった。そして、背を向けたドイツを睨む。

…必要じゃなくて、好きだから一緒にいて欲しいって言えよ。バーカ!お兄様はお前の気持ちなんか、百年も前からお見通しだっての!じゃなきゃ、俺はさっさと親父んとこにいるってんだよ!アホ、鈍感!!

ドイツの背中に向けて、無言で罵倒し、プロイセンは不満げに口を尖らせる。それに、ドイツが振り返り、プロイセンは身体を強張らせた。

「兄さん、部屋、一昨日片付けたばかりだろう。何で、こんなに散らかってるんだ」
「(…説教かよ。驚かせんじゃねぇよ!!)別にいいだろ。それより、飯だ!飯!!」


 ああ、まったくどうして、



 上手くいかない。
 上手くいかねぇ。



同時に溜息を吐く、ドイツとプロイセンだった。






オワリ