ある夏の日
喜八郎はひたすら穴を掘っていた。止まることを知らない汗そそのままにしていると、十分にそれを吸った服と頭巾が、身体にぴったりとつく。日差しが暑いはずなのに、冷える汗が妙に気持ち悪くて仕方ない。
それでも、手を止めることはなかった。
暑さにやられて、注意力散漫になったところを狙えば、あの人を落とせるはず。出来上がった落とし穴を眺めて、満足げに口元を緩める。
他の人が引っかかる可能性があったとして、あちらこちらに用意したのだから、一つくらいはあの人の分に残っているはず。
「それなりの数を掘ったものだな」
「百くらいは……」
降ってきた声を怪訝に思うのが遅くなって、ゆっくり振り返る。
深い緑色の装束を身に纏い、長いまっすぐな髪を、高い位置で結わえている男。落としたい相手が、目の前にいるではないか。
きょとんとして、先輩を見つめた。
「部屋にいると、悲鳴が聞こえてきたからな。原因はお前だろうと思って」
苦笑された。
「先輩は引っかからなかったんですか?」
つまらないといわんばかりに、口を尖らせて尋ねる。しかし先輩は、ついと目を細めて、自信に満ちた笑みを浮かべる。
「お前が仕掛けたものに、気づかないわけがないだろう」
ああ、これでも駄目なのか。
ぱさり、と頭の上に何かが載った。
「汗を拭いておけ。暑さで倒れても知らんぞ」
ほどほどにしておくよう告げると、先輩は長屋へと帰っていった。
喜八郎は足下の落とし穴に視線を向ける。
あの人を捕らえるには、どれだけ表面を取り繕っても意味がない。気づかれないよう工夫しても、必ず気づかれる。
悔しくて、手ぬぐいに顔をうずめる。一枚の真っ白な手ぬぐいから、わずかに鼻を刺激する火薬の匂いがした。
それでも、この程度の罠に引っ掛からなかったことに、ほんの少しだけ安堵していた。