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無題(ルークとアッシュ)

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無題

*

 赤橙黄緑青藍紫。ちかちかとつむった瞼に溢れる色がせわしなく変わっていく。何故だかはわからない。だが、すぐさまルークはそれを懐かしいと思った。世界はさまざまな色になり、早々と移り変わっていく。透き通った体を、その色が薄く染め上げては消えていった。ルークは思う。ここは恐らく、現世ではない。
 ではここはどこなのだ。いや、それ以前に何故俺はここにいるのだろう。ルークは立ち止まり、目を開いて辺りを認識しながら考える。俺は、何をしていたのだろうか。思い出せるはずなのに、思い出そうとすればするほど、何か大事な記憶がぼろぼろと剥がれ落ちていくような気がする。ルークはその場にうずくまり右腕の皮膚をつねった。摘まんだ皮に色はない。俺は、一体誰だ。
 つん、とした痛みが頭に走った。細く鋭利な何かに、何度も突き刺されているような痛み。ルークは頭を両腕で抱える。俺は、誰の代わりだ。
 突然目の端に、覚えのある足が見える。ここにきて初めての、自分以外の人だった。ルークは歓喜し、砂を踏む音に耳を傾けた。はっきりそれを見てしまえば済むのだが、何故かルークは認識する前に思い出さなければと感じ、それを記憶の棚から引っ張りだすことにした。急速に記憶が剥がれ落ちそうになる感覚に陥ったが、それでもルークは続ける。これは遠い記憶でも、深い所にある記憶でもない。もっと身近なものの記憶だ。そういった確信がルークにはあった。映った爪先は動くことなく止まっている。ルークが思い出すのを、待っているようだった。
 自分とは違う、色のついた爪先を目の端で確認しながら考える。とても近いようで遠い人だった気がする。似ているようで別なような、同じようであって違うような。喉の奥まで来ている答えをルークは上手く吐き出すことが出来ず、靄がかかったようなわだかまりを胸に覚える。答えが出せなかった。
 しばらくして、爪先は諦めたように踵を返した。ルークはうずくまったまま、待ってくれと叫ぶ。真っ直ぐにそれを見つめ、走りよれば正体が何かわかるはずだ。だがルークはそれをしなかった。してはいけないと身体が言っていた。お前は思い出さなければならない。自分の力で、記憶を全て失う覚悟を持って、思い出さなくてはならないのだ、と。爪先は止まることをせず、ただただ黙って消えていく。足音が遠くなっていくのを、ルークは黙って聞くしかなかった。
 結局それが誰かはわからなかった。ルークは落胆し、途方にくれ、そして後悔する。あれは、逃してはいけない人だった、と。
 世界は飽きることなく色を変え続けていた。ルークの体は未だ透明のままである。言葉では到底表せないような悔恨が背筋を伝った。
 もし、あの時あの正体がわかったなら。俺に色はついただろうか。
 何故だか、ルークの脳裏にその言葉がよぎった。あれは自分に近いものだった。きっといいものだった。しかし自分にはそれをはっきりと思い出す勇気がなかった。あれを思い出したら、全て思い出が、消えてしまいそうだったから。


「ルーク、朝だ」


 ルークには小さい頃の記憶がない。七年前、誘拐された時に全てを忘れてしまったからであった。「寝てるのか?」もしかしたらあの爪先は、七年前の自分なのだろうか。否、それはない。あれは明らかに幼児ではなく青年の足だった。それに、同じなようで違う感覚。あれはきっと自分ではない。ではあれは、誰だ。
「ルーク、いい加減起きろ!」
 苛立ちを含んだガイの声に、はっとする。俺は何を考えているんだ。あれは一時の夢で、俺は俺だ。ここにいるのは、ただ一人の俺。ルーク・フォン・ファブレその人だ。
 起きてるよ、と大きな声で外に伝えると、お前はだらしないだの自分勝手だのとガイの長ったらしい愚痴が始まった。ルークは呆れつつ外にいる親友に適当な相槌を打ちながら、先ほどの夢を思い出す。あれの何もかもを、思い出さなかった訳じゃない。とても大事な人だった。それだけは、はっきりとわかっていた。


(ルークとアッシュ/20080227)