秋の日
自動販売機で温かいコーヒーが売られるようになっていた。
それを見つけた記念にと、一本買って公園のベンチで飲むことにした。
本当の好みを言えば、缶コーヒーは少し甘すぎると思っている。だが、偶になら悪くない。
わさわさとまとまらない髪を押さえつつ、陽当たりのいい場所に落ち着いた。屋外で買ったものはそのまま屋外で飲むのがいい、と思っている。寒風に凍えながらがというのが理想だが、涼やかな秋風もなかなかだろう。
「久しぶり」
つらつらと由無し事を考えていた男の耳に覚えのある、しかし最近はついぞ聞いていなかった声がつるり入ってきた。
「あぁ、お前か」
「俺だ」
思わず、感心したように口から出た言葉に、相手の男はにやりと笑った。
「そうか…、もうそんな時期か。一年ぶりだな」
「そう。一年ぶりだ」
一仕事終えてきたところなのだろう。
何気ない仕草ではあるが微かな疲労感をまとわせながら、その男はベンチに腰を下ろした。
少しばかり考えた後、飲みかけだが、と手の中の缶を差し出してみると、狙っていたとばかりに奪い取ってぐい、と呷っていく。受け渡しの際に触れた指は、やはり冷え切っていた。
「漁、どうだった」
「ぼちぼち、だな。まぁ、今年は夏が厳しすぎたから仕方がない」
記録的な猛暑だった。いつまでも続く真夏日に、秋なんて始まらないのではと誰もが思っていた。
だが、辛うじてやってきたその季節は、おかげでというか何というか、例年よりも密度が濃い。ように感じられている。
「…」
見上げれば、すっきりとした青空だった。
なるほど。本日の漁はかなり順調で、大漁だったのだろう。
「ほら」
声とともに、投げ渡されるように膝の上に一つの缶詰を置かれた。
ひやりと冷たいオイルサーディン。
「コーヒーのお返しだ。昨日捕れた奴らだよ。缶ごと焼いてバケットと食うと旨いぞ」
「脂っこくない?」
「俺んとこのは、そこらの安物みたいにくどくねえよ」
さて、と声に出して、漁師は立ち上がった。明日も晴れそうだから忙しいのだと呟いた。
ばさりと羽ばたきの音がして、影のように真っ黒い羽根が漁師の背に広がる。
「またな」
秋の間になら、また会う機会もあるはずだ。
そんな響きを一言に込めて、漁師は空の漁場へ帰っていった。
「僕も仕事しなくちゃなあ」
ベンチに残された男は空っぽのコーヒー缶と、開けていない鰯の缶を横に置くと、ポケットから土笛を取り出した。
ごてごてと不可思議な装飾が施された素焼きの笛に唇を当てる。
「───」
音もなく鳴り響いた笛に応えるように風が吹き、荻がさわさわと歌い出す。
秋の音楽家の演奏は、それから夕暮れまで続けられた。