きまぐれ猫のレシピ
大抵の場合は取り巻き達を適当にあしらいながら、えみかの兄である政宗がいる教室へと向かうはずのめぐみが、今日は何故だかえみかに興味が向いているらしい。面倒なことになった、と内心ではため息を吐きながらも、取りあえずは相手をしてやらないと後が怖い。決して暇じゃないはずなのに、めぐみは基本的に唐突で、そして露骨だ。めぐみこそ出来れば付き合いたくない人種だろうに、何故自分はこんなにも律儀に友達でいるのだろうかと真剣に考えることさえある。
「なんでえみかはあんな奴のこと好きなの」
あんな奴、なんて、誰と言わずとも決まっている。えみかの恋人であり、眉目秀麗成績優秀財閥の御曹司でタラシで浮気癖のある軟派な男、増田京介のことである。
なんで、などということはもう百万回聞かれつくした質問であったが、えみか自身がそこに確固たる自信を持って「これだ」と挙げられる部分がほとんどないせいで、この手の質問にはいつも悩まされるのが正直なところだった。京介には悪いが、すぐに思いつく項目がどこにもない。毎日平均三人の女子の手を取り腰を取り、まさかバレないとは思っているわけではあるまいに、まあ飽きもせず粛清を受けている。そんな男。
いくら頭が良くても、根本的な性格に問題がありすぎるし、その問題点を自分の長所だと勘違いしている節があるのも、えみかを悩ませる要因となっている。
浮気は文化なんてもう流行らないことぐらい、人一倍流行に敏感な京介ならわかってもいいはずなのに。
まああれはもう、流行りがうんぬんではなく、悪癖以外の何物でもないのだけれど。
悶々と考えているうちに、めぐみが机の上に置いたのは妙に乙女チックなランチボックスだった。花柄プリントどころか、装飾物としてごつごつとした花がそこらじゅうに散らばっている。なんだか持ち歩きには不便そうだな、と目を離せずにいると、めぐみからえみかへと、やたら不機嫌そうな声がぶつけられた。これはあくまで不機嫌そう、なだけであって、本気で不機嫌なわけではない。往々にしてそういうものなのだ。藤原めぐみという人間は。
「えみかはいっつもいっつもほんっと色気のない弁当箱だよね。信じらんない」
「そうかな?別に普通だと思うけど」
「ありえないよ!だって普通の女の子は黒塗り三段で鶴の柄とかじゃないもん!えみかの女子力はババアかっての!」
「別にいいじゃん、めぐみに迷惑かけるわけでもなし」
「そういう問題じゃねーよ!」
こんなに可愛いのに、こんなに口が悪いんじゃもったいないにも程がある。まあそれを補って余りある可愛さだからこそ許される女王様ぶりなのであって、結局めぐみから可愛さを取り除いて考えることなんて出来ないのだ。えみかも容姿はそれなりに褒められる方ではあったが、それを自負したことは一度もなかったし、めぐみと比べるまでもないと、すっかり割り切っている。
以前、事故とはいえ腕の骨を折ってしまった時に、この美しさとかわいらしさが努力の賜物であるということも十二分に理解させられたし――変な話、見直した。
伏せられた睫毛は蛍光灯の光をも吸い込むようにキラキラと輝いている。学校ではマスカラはつけないらしい。えみかもそれには賛成だった。変に塗りたくって固めてしまうより、自然のままの方がうつくしい。そのままの状態で、申し分ないほどボリュームもあるのだし。
めぐみに言われた通りの弁当箱(確かに、ランチボックス、というには色味が足りない気がする)を鞄から取り出し、机に広げる。すると、お決まりのようにそこからギリギリ色味のあるおかずを、目にもとまらぬ早さでつままれた。たまに食事をするとこれだ。自分の嫌いなものを勝手にこちらの皿にうつして、その代わり自分の好きなものを取っていく。理不尽極まりない。かといってそれを渋々許してしまうのも自分なのだと、気付いていないわけではないのだ。
多分めぐみは、本気でやめろと言えばやめる。えみかのことをそれなりに好いていて、えみか自身好かれているとほんの少しでも思う部分があるからこその確信だ。
だから言えない。言うほどのことではない。それだけのこと。
……、………なるほど、そういうこと。
「あの、京介だけど」
「ん?なに?」
「……めぐみが言ったんじゃん」
「あー、アイツなんで好きなのってこと」
「それ」
めぐみから言い出したくせ、すでに興味は失われているらしかったが、なんとなく続けたい気分になってえみかの口はしっかりと動いた。未だ一口もつけられていない弁当からは、どんどんおかずが無くなっていく。その代わりにピーマンとトマト。しいたけは抜かれない。
「私、あいつのこと好きっていうか、嫌いになれないんだと思う」
「はあ?わけわかんない。嫌いになれないってことは好きなんじゃないの?ノロケ?えみかウザッ」
「ちっちがう!そうじゃなくて!な、なんていうか、ほっとけないっていうか」
まさかめぐみを見ていて思い当たったとも言えず、しどろもどろにもとりあえず説明しようとする。しかしすでにその話の主軸である人物に対し興味を失っていためぐみにとって、なにを言っても無駄であることはほぼ明白であった。
ああ、折角いい言葉だと思ったのに。
自分を好いてくれる人間のことを、誰が嫌いになれるだろうって、そういうことを言いたかったのになあ。
「めぐみに言ってあげたかったな」
「なにが?」
「……べつに」
「なにそれ、えみかのくせにナマイキ!」
そんな風に睨まれたって、今更どうってことはない。いつの間にかピーマンとトマトとしいたけだらけになったおかずを見て、わざとらしくため息をもらすと、やっと一口目を咀嚼した。めぐみのおかずは全部甘くて、私もこれぐらい甘いんじゃなかろうか、なんて高校生が考えそうな微妙な比喩が頭の隅で呟かれる。ああでも確かに、この子のきままさは男には毒だろう。
序盤で時間を使いすぎたせいで、目の前に広がる大量の白米を休み時間が終わるまでに食べきれるかどうかわからない。黙々と食事を続けるえみかの様子を、もうすでにデザートまで食べきったらしいめぐみが眺める。用が終わったなら自分の席に戻ればいいのに、と、興味なさ気な視線を受けつつ、ペットボトルのお茶に手を伸ばしたその時だった。
「めぐみ、実はトマトけっこー好き」
さらりと言ってのけたその言葉に深い意味などなければいいのに、興味なさ気なその表情にはよっぽど不釣り合いな頬のあかが、えみかの両眼を否応なしに丸くさせた。あ・そう・ありがとう、……とは言えずに、ひとまず口の中のトマトと白米をお茶で流すことを試みるも、嚥下がどうにもうまくいかない。
――とりあえず、「それなりに好かれている」なんて言葉は前言撤回しておいた。
めぐみには内緒だ。