【10/17新刊】平和島静雄の迷走【サンプル】
「臨也ぁああ!!」
忌々しげな叫びに、臨也は覚悟を決めて振り返った。左手に、取り出したナイフがきらめく。
その、瞬間だった。
「――……っ!?」
目の前で、静雄がどさりと崩れ落ちた。
何が起こったのか咄嗟には理解できず、臨也はナイフを身構えたままの状態で固唾を呑む。そのまま三秒。静雄が動く気配はない。
「え、なに……? シズちゃん? シーズちゃーん。うそ、なにコレどーなってんの?」
しゃがみこんで声を掛けてもナイフでつついてみても、起き上がる様子はなかった。完全に気を失っているらしい静雄に、笑いが込み上げてくる。
「あっはは、何の冗談なわけ? ……うわ」
静雄の呼吸が荒い気がして顔に手を触れ、臨也はその熱さに目を瞠った。
「シズちゃん、もしかして風邪……? でもさすがそれだけじゃ倒れないか。……なんか薬でも飲まされたとか?」
目の前で、静雄が、気を失って倒れている。
あのシズちゃんが。
あの平和島静雄が。
池袋最強の男が。
何が原因かなんてわからないけれど、チャンスであることには間違いなかった。
まさに千載一遇。
これを利用しない手はない。
頭の中はもう、静雄をどうするかでいっぱいになっている。
「さーて、どうしようか。いきなりこんなことになるなんて、本当に世の中何が起こるかわからないねえ。実に面白い!」
立ち上がって辺りを見まわし、誰も見ていないことを確認して、臨也はひどく酷薄そうな笑みを浮かべた。
[中略]
何かに気付いたように臨也ははっとして、それからにやりと口元を歪ませた。
「そうだよねえ、せっかくここなんだし、男だってアリだよね。ねえシズちゃん。ひとつのベッドで人間が二人いて、やれることなんて少ないと思わない? ね、せっかくだしたまにはベタなこと試してみようよ」
「っ!? なにす……っ、!」
囁くようにそう言って、臨也は突然静雄の身体に手を這わせた。驚いて身体を捩った静雄は、いつものように衝動に任せて臨也に腕を振るう。けれども、思い切り振るったはずの腕はひょいとそれを避けた臨也によって、ぱしりと受け止められてしまった。信じられないほど、身体に力が入っていない。
「へえ……ほんと、すっごい効いてるみたいだねえ。これならやりやすそうかも」
「ふざけんな……っ」
「俺は本気だけど? ま、最後までするつもりはないからさ、シズちゃんも観念して協力してよ。幽くんに迷惑かけたくないでしょ?」
「何でそこで幽が出てくる……!?」
「わかるだろ? さっき言ってた写真。君や幽くん自身がどうであれ、幽くんの周りは放っておかないだろうねえ」
「なっ……!」
しゃあしゃあと出てくる言葉は、全く悪びれもなく。意地悪げに歪めた顔を睨みつけても、いっそうその嗜虐心を煽るだけのようだった。
普段ならばとっくに臨也を殴り殺しているであろうこの状況に、静雄はけれどもただ唇を噛むことしか出来なかった。じわりと口内に広がる鉄の味に、悔しさと情けなさが沸々と怒りに変わる。けれど、それを吐き出す力はどこにもなかった。臨也が何を盛ったのかはわからないが、身体の熱はひくどころか増していく一方である。
何をされるのかわからない恐怖と、自身の身体が思うように動かない恐怖に、神経が蝕まれていく。
この部屋が、どういう目的のためにあるのかを、こんなタイミングで思い起こして虫酸が走る。
「ノミ蟲が……っ」
「大丈夫、すぐに気持ち良くしてあげるからさ」
どうせなら、楽しもうよ? そう言って笑った臨也の顔は、嫌味なほどに秀麗だった。
作品名:【10/17新刊】平和島静雄の迷走【サンプル】 作家名:ユトリ