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La mariposa del cuarto confide

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風が抜ける中庭で、ロッキングチェアを引きずり出してうたた寝をしていた。
白い外壁に、レンガ色の屋根。咲き誇る鮮やかな花に囲まれ、光りは溢れていた。
手の中には寝室から拝借した、埃を被った薄い文庫本。同じく寝室から持ち出したいくつかのクッションに埋もれ、青碧と錆浅葱色のストライプのブランケットを膝に掛ける。
やわらかなコットンで出来たブランケットの肌触りはとても肌馴染みがいい。ロッキングチェアが、ゆら、ゆら、ゆれて。やがて寝息は風に混じり流れて消えた。とても穏やかな午後。

じぶんが「かえる」としたら、この場所なんだろうと、ロマーノは思っていた。

一面のオリーブ畑、太陽の恵みを享受するトマトの赤、ゼラニウム、ペチュニア、カリブラコア、薄い花弁で極彩色の花々が風に揺れてそのかえりを待ってくれている、きっと。そのすべてがスペインだ。イスラム由来の幾何学模様で彩られたタイルの表札が出迎えたとき、自分はなんと言うのだろう。ロマーノは眠りに落ちる前、ぼんやりする頭でそれを想った。
ロマーノの瞼はやわらかく閉じられ、そのなかで、ゆっくりと動く眼球が夢を見ていることを知らせていた。落ちた睫毛の長い影。ゆれる速度でゆっくりと肺は上下している。時折もれる、やさしい寝息。ブランケットが肌を撫でる風にそよいで足元で揺れていた。
この場所はとてもいい、においがする。

午後二時を過ぎたスペインの中庭の光はとても眩しくて、ロマーノがそのすべてを受けとめるにはすこし勇気がいった。光りは鮮やかで、溢れていて、眩んでしまう。のみ込まれ、溶解して、取り込まれてしまいそうになる。スペインの、その一部に。
「それでもいいんだけれど」いつかそうロマーノが呟いた。手のひらを合わせたら境界線が見えなくなるみたいに、いっそからだのどこからか繋がって、溶けて同化してしまうのもいいかもしれない、と。「取り込まれるなら、おれがスペインになるんだろう?そしたらおまえ、もう、永遠に淋しくないだろ。」
フランス革命が起きる前、もしくは後のことだったか。イタリアの統一運動が始まる少し前の、しかしそれは確かに夜だった。スペインはその事を今でもはっきりと憶えている。
スペインの寝室でふたり、毛布に包まりながらぽつぽつと、言葉を交わしたこと。その時の間接照明のオレンジ色、ロマーノの声色、密度の濃い空気や彼の吐き出した二酸化炭素まで愛しいと思ったこと。それらをみなスペインは記憶の一番取り出しやすい引き出しに入れて、鍵を掛けて、閉まっている。何時でも取り出せるように。取り出して眺められるように。溢して、失くしてしまわないように。でも、普段見ることのないよう、鍵を掛けて。
「あかん。それではこうして、抱き合って互いを感じることができなくなってしまう」
それがスペインの、こたえだったから。


はら、はら、はら

風に吹かれ花びらが散った。
やわらかなピンクから白にかけてグラデーション、それが幾重にも折り重なった花弁を指でちぎって風に流してスペインは遊んだ。
花弁は思いのほか簡単にがくから外れた。もう、しおれて散ってしまうからと貰ったラナンキュラスの花束だった。それを風に乗せる。
スペインは知っていた。街からのかえりみち、家にいま、ロマーノが居ること。連絡を一度も入れず、何の前触れもなしに、国交とかそういうのは差し置いて、彼が家を訪ねることは年に何度かあった。タイミングも時間もばらばらだったけれど、気づいたらそこにいた。それはとても自然なことのように。
はじめにマーケットのおばちゃんが「昼前に見たよ」と声を掛けてくれた。おやじさんは「いい顔つきになったねぇ」と付け足してくれる。袋いっぱいのオレンジとバケットを片手にスペインが家路についていると、様々なひとが声を掛けてくれた。「今夜一緒に呑みにおいで」「今日はいい日だね」みんな笑顔だった。ありがとう、ありがとう、と相槌のようにスペインが返す。笑顔がこぼれて、それだけでやさしくなれそうなきがした。最後、通りの外れの花屋で、スペインは花束を貰った。「さっき彼がここを通ったわ。あなたに似てきたわね。笑い顔がそっくり!」そう言いながら彼女は、朽ちかけだというラナンキュラスの花の束を渡してくれた。ピンク、黄色、オレンジ、そこからの薄くやわらかなグラデーション。
「素敵な一日を!アントーニョ」

指先でつまんだら、溶けてしまいそうに薄い花びらを、千切って風に乗せる。
敷き詰められたレンガの上に、風に乗って植栽の上に、シエスタをしているロマーノの上に、それは散り散りに落ちた。
紙袋をカフェテーブルに置き、最後は両手に乗せてばら撒いた。ロマーノの髪、服、膝、それからクッションの隙間、ブランケットの足元に淡く色がつく。
とてもきれいだと、おもい、とてもせつないと、おもった。
手のひらに乗せた小さな花弁はすぐに風に攫われてしまう。てのひらから、ぼろぼろこぼれてしまう。あぁ、そうだ、じぶんも、かれも。とてもにていて、どうしようもない。

やさしく、やさしく降り積もった。そのてのひらから、かれへ。

「おかえり」


あれから二百年とすこし、閉じ込めていた言葉をスペインは口にした。声帯を震わせて、ロマーノに届くように。
「自分たちがいつか消滅する存在だとしたら、自分はロマーノのかえる場所になりたい」と、吐き出した激情の先に見つけた淡い光りを守るようにフランスにかつて漏らしたスペインが。
ロマーノはまだ眠っていて、規則正しい呼吸をしている。受け止められることのない言葉が、はきだされた二酸化炭素と共に宙に溶けた。
ちいさな、ちいさな声だった。
「似てるって、言われてん。似とるかな」
ちいさく、笑って、ロマーノの顔に落ちていった花びらにその指先でそっと触れた。髪を撫で、ブランケットを掛けなおした。穏やかに微笑う。

パティオは陽光にあふれ、やさしい時間だけが流れている。アイアンの柵に掛けられたとびきり大きい壁掛けのバスケットに咲いたフクシアの花が一輪、風に揺れていた。

「おかえり、ロマーノ」



作品名:La mariposa del cuarto confide 作家名:トマリ