泣殻
「あー……やっぱりこないだのままかあ」
その眼前に広がっているのは、瓦礫と化した旧特待生寮。ここは先日実体化したオネストとの一件の際に崩壊したのだが、元より立入禁止区域だった為か、今もそのままとなっている。
「ま、あれからそう日が経ってないし、仕方ないかな」
そう呟いて苦笑すると、青年――吹雪は、正座する形で腰を下ろした。
「――ただいま、藤原」
遅くなってゴメン。
悔いるように続けたその言葉は、風で掻き消えてしまいそうなほど、弱々しく震えたものだった。
「ホントは花とか持って来れたらよかったんだけど、君の好きな花を知らないことに気付いちゃってさ」
馬鹿だよねえ、と吹雪は笑い話のように口にしたが、ふと、小さく声を上げて俯いた。
「……そもそも僕は、君が花を好きかどうか自体、聞いたことがないんだったね」
すぐ傍にいたのに、何にも知らなかったんだ。
ぼやくように口にした吹雪のその言葉は、彼らの間に存在した微妙な距離を物語っていた。
天上院吹雪にとって、常に笑顔を振り撒く自分を太陽に。物静かだが強い力を持つ亮を恒星に例えるなら、藤原優介は月だった。彼は決して目立つ男ではなかったが、自分にとってなくてはならない、誰よりも慈愛に満ちた存在。少なくとも、吹雪は彼をそう評していた。
それが致命的なすれ違いと知ったのが、オネストの件だった。吹雪はあの日、藤原に関する全ての記憶を取り戻し、かつての彼の言葉を思い出したのだ。
「家族って、あたたかいものなんだね」
それは、呟きとも呼べないほどに小さな声だった。
家族の話の際に告げられたその言葉は、今思えば彼が発した最初で最後の叫びだったのだろう。実に分かりやすい。誰よりも愛情と絆を求めていたのは、外ならぬ彼だったのだ。
「隣にいたのに、気付けなくてゴメンね」
つらそうに口を開く吹雪の瞳からは、ぱたぱたと澄んだ雫が零れ落ちた。
「ねえ藤原。全部思い出して、やっと分かったんだ。ずっと感じていた喪失感の理由が」
ぎゅっと両膝の上で拳を握り、何かに訴えるように声を上げた。
「なくしてやっと気付いた。君がいないから……君が隣にいないからだったんだ…………っ!」
『本当に大事なものに限って、いつも失くしてから気付くんだ』
彼にそう言われた時、自分はきっと大丈夫だという思いがあった。けれども、自分も結局近すぎるが故に大切なのだと気付けないままなくしてしまった。吹雪は彼を失ったことで、ようやく己の感情に気付いたのだ。
「ふじわらっ……ふじわらあ…………っ」
自身を抱き締めるように腕を回し、しゃくり上げながら名前を呼び続ける。――もう、答える者がいないと知りながら。
「……すき……すきだよ藤原……っ。君のことが、どうしようもなく好きなんだ……!」
過去形にしないのは、今でもその想いが続いているから。それは、想いを伝えることが出来なくなってしまってから気付いた吹雪の、嘆きのような愛の言葉だった。
――明かりのない闇夜は深い。いまだ明けぬ暗闇の中、吹雪はただ、声を上げて哭き続けた。