必要な嘘の数
ここの幹部である四木は、暴力団関係の中でも一番のお得意さんであり、それなりの地位を持つ男だ。
革張りの黒いソファーに座るその姿は一見して物腰柔らかな優しい態度だが、そこはそれヤクザであることに変わりはなく、一切の油断は出来ない。そのことからも、普段情報を売るのにあまり臨也はここを訪れることはない。相手の陣地に一人で行くことになるし、何より情報という売り物は、今や電話だけでなくメールでも何でも売りさばくことが出来る時代だ。
けれど今回は渡す物もあり、たまにはこうして顔を出しておくのも営業の一環と思い、臨也は同じく高級なそのソファーに座っている。
「それで、これが例の」
テーブルに置かれた、一見してただの錠剤に見えるドラッグを手にして、四木は蔑んだ視線を送る。この男がドラッグの類を使う人間を下に見ているのが伺える。
「ええ。まあ見た目はどれも似たようなものですよ」
臨也がそうこたえると、四木は口元を歪めそれを乱暴にテーブルへと投げつける。錠剤というよりはまるで子供が食べるラムネ菓子のようなそれを前に、ヤクザと情報屋が顔を合わせて話しているのが臨也には実に滑稽に思えた。
「出回り具合はどうですか？」
「…四木さんが思っている程ではないようですよ。まだその辺のやつが気軽に買えるって程じゃないですね。あの何ヶ月か前に出来たクラブあるじゃないですか。あそこで信用のおける馴染みの間で取引されてます。まあ、予想するに数自体もあまりまだないんじゃないですか？」
臨也はそう話しながら、目の前の男を隅から隅まで観察する。
この四木という男の、ヤクザにしてはセンスのいい服装や、丁重な言葉。それが気に入ってもいるし、嫌気がさす。腕にはめている高級時計はこの間会った時と違う。金額分の役割を果たし、どっしりと重たそうにそこに収まっていた。悪くはないが、臨也からすれば何百万も払う価値がその重みにあるのか理解できない。
「なるほど」
一通り臨也の報告を聞いた四木は、もう一度テーブルに置かれたそれに視線を移す。その視線が、一瞬鋭くなったのを臨也は見逃さない。
「邪魔ならこちらで対処しますが？上乗せ分いただきますけど」
臨也は人のいい笑みでそう告げると、四木は苦笑するようにして目を細めた。
「最初から、それを見込んでいたんでしょう」
そりゃそうだ。気になるということは、結局こうなることくらい臨也でなくてもわかる。だからこそドラッグを手に入れるだけなく、臨也は彼らに溶け込むようにして信頼を得ていた。
「粗悪品を出所がわからないように上手くばら撒きます。評判も落ちて、すぐに他へ興味が移るでしょう」
簡単なことだ。この街にはいくらでも人の痛みを忘れさせる娯楽が溢れている。そうして気づいた頃には、混沌としたその闇から抜け出せなくなっていく。
それなのに、臨也はそのどれもに興味が持てずにいた。けれどそんな時、臨也はいつも自宅にある美しい首のことを思い出す。そして静雄。
「まあ、こちらもそのつもりでしたので、話が早くて助かりますよ」
そう告げる四木をじっくり観察したが、微塵も表情が変わる事はなかった。自分は笑顔で常に内にある感情を表に出さず相手を惑わしているが、この男は感情を顔に出すということめったにしない。その内にある感情を探ろうとしたが、臨也は諦めて視線を反らす。
「じゃあ、追ってまた報告します」
話すことが終わると、臨也はすぐにでもこの部屋から出たくなり席を立つ。たが腰を上げたその瞬間に、四木が引き止める。
珍しいことに臨也は少し驚いたが、目の前の四木の方がなんとこの時、驚きという感情を顔に表したのだ。
「どうかしました？」
「試したんですか？」
それが持ってきたドラッグのことを意味しているまではわかったが、どうして急にこのタイミングで、しかもバレたのか。
四木の視線は、腰を浮かせた臨也の体制によってはだけたＴシャツの中に向けられている。そこには散々静雄が残していったキスマークの痕が残っていた。もはやキスといっていいのかわからない痛みだったが。
「……」
油断した。慣れないことはするもんじゃないなと臨也は少し後悔する。そんな痕を残すようなこと、いつもなら絶対にさせはしない。静雄が相手だからこそのイレギュラーだ。
「目ざといなあ、四木さん」
隙を見せるわけにはいかない。そう思い、臨也はなんでもないことのように告げる。それにあの四木がこんなに面食らっているのが面白くもあり、とっておきのジョーカーを出すことにした。
「使ったのは俺じゃありませんよ、相手です」
「……珍しいですね、貴方にしては」
「あはは、それがね四木さん。相手はシズちゃんなんですよ」
予想通り、今度は言葉を失い四木は唖然とした表情を向ける。
「丁度これを手に入れて、疲れて帰ってきたっていうのに待ち伏せされててね。俺も殺されるわけにはいかないですし、まあ、どの程度の物なのか興味もあったんでね」
嘘偽りはないというのに、言葉を重ねれば重ねるほど嘘くさい気がした。それでも黙ったままでいる四木を前に、臨也は話を止めることが出来ない。
「それに、シズちゃんああ見ててなんだかんだ言って善人ですから。きっと一度でもセックスしたら、情が移って俺を殺しにくくなるんじゃないかな。上手くいけば、また利用出来るかもしれない」
話ながら、臨也はそうだと思う。また利用できるかもしれないと思っただけだ、と。
「それが狙いですか？」
どうしてそんなわかりきったことをこの男はわざわざ確認するんだ。今、そう言ったはずなのに。
「今、そう言いませんでした俺？」
質問を質問で返してやると、四木の返答を待たずに臨也は立ち上がり足早にその場を立ち去ろうとした。
「臨也」
わざわざ、名前で呼んでくるなんて余程のことなんだろうな。しかも呼び捨てだ。臨也は苛立ちを押さえ、お得意先の顔を立てるために振り返る。
「貴方が静雄とセックスしようと思ったそれが、情が移ったっていうんじゃないですか？」
臨也はとっさに身体が動くというのを肌で感じた。静雄がいつも人の話を聞こうとしないのは、こういうことだろうか。臨也は頭で考えるより早く、ソファーに座る四木に馬乗りになる。
静雄にしたように。
こんな時ばかり楽しそうな顔をする四木に今すぐ唾を吐きかけてやりたかったが、臨也は理性を総動員して押さえ、テーブルにあったドラッグを手にする。
「四木さんも興味あるでしょ、これ。使ってみます？」
そう、利用できるものはなんだって利用する。だが、四木は小さく笑って臨也を押し返した。
「いや、情が移るからやめておきますよ」