【銀魂】篠原進之進の憂鬱 [全文]
当の本人といえば私が数度呼び掛けたが返答がなく(しかし一定回数返答がない場合、やはりこのように調べ事に熱中していることが殆どなので私は彼の許可を得る前に部屋に入ることも少なくない)、書物から視線を上げようともしない。
淀みなく動く視線に合わせ、短いが綺麗に揃った睫毛が上下に揺れる。私が彼を正面から見詰めることのできる、唯一の時間だ。このまま好きにさせたい気もするがしかし、そういう訳にもいかない。
「――先生」
数えることを放棄したので何度目の呼びかけか見当も付かぬ。相変わらず視線は上下に規則正しく動くが、「ああ」とも「うう」ともつかない唸りを発したので私がここに居ることは認識しているのか。
「車を回しますので、ご準備を…」
人と会う約束を貴方は忘れないから、その時間に合わせて意識が浮上してきたのだろう。小さく溜息をつき私は、真選組参謀・伊東鴨太郎の部屋を出た。
篠原進之進という男は不思議なもので、気付くとそこに居て僕のことを見ているのだ。最初は用事でもあるのかと問うたこともあったが、彼はすぐに視線を逸らす。そのままにしようと決めてからかなりの時間が経った。
考え事のあいだに余計な思考を混ぜたくないので時折食事を抜くのだが、彼はそれを目敏く見付け、気付けば机の上に盆が載っている。以前はここまでだらしなくは無かったはずなのだが、最近いよいよ顕著になった感は否めない。
あぁ、だがしかし。今回はよろしくない、全くよろしくない。手を抜いたのだね。
「早く終わりましたね」
助手席に座った篠原が振り返らずに「食事、どうしましょう?」と言う。会合は予想していた時間より早く終わったのだ、屯所を出る際に今夜の食事は予め辞している。篠原の問いには答えず「君、2つ先の角を左折したまえ」と伊東は良く通る声で運転席の隊士に告げた。
左折した先は細い路地だ。伊東が更に「右だ、左だ」と鋭く指示を飛ばすと、密集した住宅街の中をパトカーがゆっくりと進んでいった。
「ここで停めたまえ」
伊東の声に隊士が「え……」と一瞬声を上げ、伊東の言ったここから少しだけ進んだ場所にパトカーは停止した。伊東が降りるので篠原も慌てて車外に出る。そのあいだにも伊東と運転手は数回言葉を交わし、篠原が伊東の背後に回ると同時にパトカーは走り去ったのだった。言い淀む篠原を余所に、伊東は迷うことなく店の暖簾をくぐる。
「あの、先生……?」
店に入る前と同じ言葉を繰り返し、落ち着かない様子で店内を見回す。篠原らが驚きの声を挙げたことは理解に容易い。
「僕がこんな店に入るのは意外かい?」
雑多な町の中にある、けして綺麗とは言い難い店構えの小さな食堂だ。自分一人だったらこんな店で食事をすることもあるだろう。しかし『伊東鴨太郎』がこの空間に存在する事実を、篠原は肯定することができなかった。
交友のあるお嬢さんに教えて頂いた店だよ――と、珍しく笑みを零す。自分の知らない顔を見せた伊東に、そうですかと篠原は抑揚のない相槌を打った。ラミネートされた手書きのメニューを見ていると、
「何故、今朝は手を抜いたんだい?」
「は?」
食事を一食抜いたぐらいで死ぬことも倒れることもない、だから食べなかった。「適当に見繕った食事」だということがすぐに分かったから。
「君と同じでいい」
驚いて篠原が顔を上げると、視線を逸らして繰り返した。
「君と同じでいい」
「――それは、信頼されていると取ってよろしいので?」
「構わんよ。君なら僕に変なものは食べさせないだろう? それと、早く終わったんじゃない。終わらせたんだ」
彼はフイとそっぽを向く。意外と子供じみたその挙動に、そんな顔を見せてくれるんですねと篠原は目を細めた。
「そうですね。あの方との時間は先生にとって有意義とは言い難い、別の者に任せてもいいのではないかと常々思っています。先生、何にしますか?」
「君と同じでいい」
「厭だな、先生お薦めお店ですよ。初めてぐらい先生が決めてください。先生と同じでいいですから」
饒舌になってしまう自分が、とても悔しい。
仕えるようになって1年近く経つ。なかなか内を見せないこの上司が、少しずつではあるが自分を近くに置いてくれていることを実感する度に喜びを外に洩らしてしまう自分が、とても悔しい。聡い伊東のことだ、きっと今の篠原の様子にも気付いているはずだ。いつものように眼鏡を直す動作さえ今日は愛おしいと感じてしまう自分に、篠原は目眩を覚えた。
作品名:【銀魂】篠原進之進の憂鬱 [全文] 作家名:つみれ