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君にしてあげることは何も無い

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 月のない、夜だった。
 憎らしいほどに澄み渡った星空。数多の光が瞬いている。その一つが流れて消えていった。

 湖上の城のほとりに独り、フッチは佇んでいた。頬を伝う涙は枯れることなく、光を受け煌めき──落ちた。

 ブラックが死んだ。あの魔女の手によって。最期までフッチを守って、死んだ。
 フッチがブラックの最期を看取ることは出来なかった。無様にもなす術もなく斃れ、次に目覚めたときには──その心の臓は竜たちに捧げられていた。深い深い永遠とも続く眠りへと堕とされた彼らが、再びその翼を取り戻したことには心から安堵した。けれど。けれど、なぜブラックがと、そう思ってしまったことも事実だった。

 なぜブラックが死ななければならなかったのだろう。
 フッチのくちびるが歪み、笑みを象った。
「おれが、殺した」
 フッチが一人先走らなければ、ブラックが死ぬことはなかった。
 あの魔女に対抗し得る術さえあれば、ブラックが死ぬことはなかった。
 フッチの軽率さと驕りこそが、ブラックを殺した。

 そうしてまた、一筋の涙が頬を伝った。
 瞬きもせず、空を仰ぐ。
 この果てなく広がる空を駆けることはもう──ないのだろう。騎竜を喪った竜騎士は、ただ地に堕ち地を這うしかないのだ。物心ついたときには既に傍らに在った友を、故郷を、誇りを、存在意義を、何もかもすべてを失い、フッチは今ここに居る。
 殺しきれなかった息が漏れる。知らず震える身体を抱いて俯いた。

 冷たく吹き荒ぶ風が湖面を揺らす。こつりと、背後に気配が立った。鋭く振り返る。
「いい加減鬱陶しいんだけど」
 風を纏いふうわりと降り立った少年はそう吐き捨てた。
「あんたには関係ないだろ」
 フッチは乱暴に涙を拭い闖入者を睨んだ。見られた、その羞恥に頬が染まる。けれどルックはそんなフッチを一瞥すらせず、ゆっくりと歩を進め──追い越し背を向け立ち止まった。
「あんた何なわけ? もうずっと風が煩くて眠れやしない」
 切り揃えられた髪が風に靡く。それを鬱陶しげに払い、嘆息した。
「おれが知るかよ」
「まったく、いい加減にしてくんない。たかがペットが一匹死んだくらいで情けないったら」
「ブラックはペットなんかじゃない!!」
 激情のままルックの腕に手を掛け叫ぶ。高い位置から不快気な視線がフッチを射抜いた。怯みそうになる自身を払うように小さくかぶりを振って、その風色の双眸を強く睨みつけた。視線が絡む。
 頬にまた一筋、雫が伝った。
「ブラックを侮辱するな」
「……まあ、どっちでも良いんだけど…… とにかく、君がめそめそしていると風が煩いんだ。コドモはさっさと寝なよ」
 短く息を吐いて、ルックはその腕を振り払った。
「風がナントカって意味わっかんないけど、おれがどこで何してようと勝手だろ」
 視線を逸らし、舌打ちする。そうして皮肉気に口を笑みの形に歪ませた。
「下手な慰めはいらない。周りの大人共にもうんざりだ。おれのことは放っておいてくれよ!」
「──やめてよね、何勘違いしてんのさ。僕が君にしてあげることなんて何もない。ただ風が煩かったから元凶を取り除きに来たまでだ。面倒ごとはごめんだね」
 心底不快気に顔を歪ませたルックの言葉と共に、冷えた夜風が吹き荒びフッチの視界を遮った。咄嗟に腕で覆い庇う。そうして瞼を開いたその先に少年の姿はなく──ただ星を映す水面が揺れているだけだった。

「なんなんだ、あいつ……」
 小さく呟いて、軌跡を辿るように視線を移し城を見上げた。その頬を風が撫ぜる。
 伝った涙は、とうに浚われ消えていた。