犬の話
真木が自分を見る目つきが、兵部少佐は苦手である。彼はまるで忠実な犬が飼い主のことを見るように、兵部のことを見る。それが兵部を落ち着かない気分にさせるのは、かつて同じ目であの人を見ていた自分を思い出すからだ。遠い昔、心と体を粉々に砕かれる前の、あの無知な自分を。
真木にとって兵部少佐は絶対だ。絶対だが完璧ではない。むしろ欠点だらけの人だ。だから自分が見ていなければという気分にさせられる。駄目な主を持つ犬はこんな気分だろうか。真木は少佐を見る。少佐の背は視線を当然のものとして受け止める。俺はきっと今、犬のような目をしている。
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真木が自ら兵部を抱くことはない。だから大体は兵部が彼を自室に呼ぶ。時々は彼の部屋に忍んで行く。もっともいざ事が始まれば真木の行為は激しく、兵部は揺さぶられ貪られながら心のどこかでいつも安堵する。この時ばかりは真木は犬ではなく獣だ。自分は犬とはこんな事はしない。
真木は自分からは兵部を抱かない。欲望はある。だから求められればいつでも応じる。いつも少佐は抱かれる事を楽しみ、真木も存分に彼を味わう。だが細い体を組み敷くと、時折言葉にし難い痛みが胸を刺す。俺はこんなことをすべきではない。この人に必要なのは犬だ。犬であるはずなのに。
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真木は兵部の服装が不満らしい。せめて公の場では学ランはやめて下さい、よくそう口にする。そんな時兵部は、返事代わりに真木の襟に手を伸ばす。ネクタイを引っ張ると、真木は従順に身を屈める。顔を寄せながら兵部は思う。スーツ、特にネクタイは御免だ。見ろ、まるで犬の首輪のようじゃないか。
真木が出会った頃には、もう兵部は学生服を着ていた。当時はまだ子供で、彼の学生服が大人の象徴のように見えたものだ。だが今は、あの服が彼を捕える檻のように感じる。犬のようにネクタイを引かれ口づけを受けながら、真木は思う。一体いつまで、子供のままでいるつもりなんですか。