おも はゆい
イギリスは突拍子もないことを言い出した。
「はぁ?」
ロンドン郊外のイギリスの本宅で、2人して飲んでいる最中だった。壁に掛かっている時計は既に1時を回っている。並んで座ったソファの上、フランスはイギリスを見つめた。イギリスはつまらなそうに自分の手元を見ていて、その目元は少しだけ赤くて、けれど瞳は揺らいでいなかった。
どういう意味だ?
深夜の居間は、少し寒い。あんなに暑くて苦しかった夏はすでに行き過ぎ、空は秋色をいっそう深めつつある。比例して夜も深く深く、秋冷を伴って深まっていく。
「俺のために毎日飯を作れ」
なんだそれ。イギリスの衝撃の一言に、少なからず期待したフランスは呆れてしまう。
「そんなの、嫁じゃなくてもできるじゃないの」
「夫の飯を毎日作るのは嫁だろ」
「大体、俺男なんですけど」
そういえば、昔にもそういう話をしたことがあるなぁと思う。けれどあれは自国の経済状況があまりに酷かったからで、いわば国としての結婚である。現在の状況とはかけ離れている(強いていえばイギリスの経済は良いものではないけれど、悲しいことにそれはフランスだって変わらない)。また、その時に結婚を申し込んだのはフランスだった。
あの時はフランスが泣こうと喚こうと、決してフランスの要求に頷かなかったイギリスだった。それなのに、どうしてたいした記念日でもないこの夜半の秋に、そんなようなことを言い出すのだろう。
イギリスはテーブルの上の皿からフランスの作った焼き菓子をつまむ。ぱくり。食べて、もう一回言った。
「お前、嫁に来い」
なんて、心のなく安易な求婚だろいか。
イギリスは、珍しく笑顔を浮かべている。酒が入っているという事実を無視すれば、爽やかで男前な表情をしているといえなくもない。しかしいったところで、この眉毛だ。酒癖の異常に悪いこの男は、実のところいつ暴れだしてこの穏やかな秋の夜を地獄に変えるか分かったものではない。
「そんな、愛のカケラもないプロポーズじゃ頷けねぇな」
鼻であしらってやった。当然だ。愛の言葉というものは、もっと壮大に、雄大に語られるべきなのである。それでして初めて、取り合われるに値する価値を持つ。相手はなんといったってこの自分なのだ。
「つべこべ言うな」
フランスの一言に気を損ねたのか、イギリスは先ほどまで浮かべていた笑顔をいつもの仏頂面に塗り替えて、フランスのタイを掴んだ。
殴られるかと思って身構えたフランスは、しかし次のイギリスの行動に瞠目する。イギリスはフランスをぐいと引き寄せて口づけたのだ。思わずフランスは身を引く。
「なにびびってんだよ」
からからとイギリスは笑った。そのまま、フランスにのしかかる。
突然負荷を掛けられて、フランスはそのまま後ろへ身体を倒す羽目になる。ぼすん、と自分の身体が沈む感覚。
「…イギリスさん?」
否応なくイギリスを見上げた。天井からつるされた無駄に豪勢な明かりが目に入る。決して優しいものではない人工的な光に、フランスは目を細める。
イギリスは相変わらず仏頂面でフランスを見下ろした。おおよそ穏やかな体勢ではないと、フランスは思う。イギリスに変な気を起こされては堪らない(それは決して色っぽいだけの意味ではなく)。
「なぁ、フランス」
イギリスは笑わない。しかし、口から響くいつもより低トーンの声は至極色があった。
「嫁に来いよ」
まるで心臓が耳元にあるようだと思った。腐っても眉毛、腐ってもイギリスである。今も昔も大して変わらないちんちくりんに絆されるだなんて愛の国の名も廃れてしまう。冗談ではない、冗談では。フランスは心うちで一生懸命そう考えて、けれどやはり誤魔化すことはできなかった。
(くらくらしちゃう。)
柄にもなくフランスは頬を染めた。