浴室
シズちゃんは泣きそうな声で言っ――ああ、不愉快。最悪。ありえない。俺は大袈裟に舌打ちする。
「……俺が困るんだよ」
"臨也"も、"甘楽"も、"奈倉"も。
「困るんだよそれじゃ。シズちゃんの人間形成なんて、俺にはどうだっていいんだよ。力のコントロールを覚え始めて、これから、暴力なんか奮わずに、"優しく"暮らしていけたらなんて夢見事思ってるんでしょ?だから俺のこと――……」
「違う」
「違わない」
「違う!」
珈琲カップが転んで、テーブルクロスが黒く染まった。ああ、乾いた血の色だ。
「おい殺人人形」
「違う」
シズちゃんがサングラス越しに俺を睨んだ。…まだ、まだだ、憎悪と呼ぶにはまだまだ弱い――そんなもんじゃないだろ?
「逃げるの?」
「…違う」
「逃げるんだよ、シズちゃんは。これまでしてきたこと忘れて、"平和"なんてものへ、さ」
「違う」
「違わない…それってさあ、ずるいよね。すっごく、ずるいよね?」
「…………」
「シズちゃん?」
「こ、」
「なに?」
「ころ、」
「聞こえないよ」
「……殺してやる」
…そうだ。
「俺今日さ、シズちゃんを殺す夢を見たよ」
シズちゃんはもう頷きすらしない。シズちゃんが不機嫌になるほど、俺が上機嫌になるってのは不思議だなと思う。俺は笑って続けた。
「俺シズちゃんのこと嫌いだけど、シズちゃんの中身は綺麗だった。裂いた腹から溢れた臓器はピンク色で、血は赤のイデアって言っても良いくらい赤くて、俺はシズちゃんを初めていとおしいと思った」
本当のシズちゃんの中身も、あれぐらいうつくしいのだろうか。シズちゃんの中をあのうつくしい液体が駆け巡っているのを想像すると、俺はシズちゃんを少し愛せる気がした。
「♪洗って、切って、水の中…」
俺はシズちゃんと真っ正面から見つめ合った。切り裂くような視線を気持ちいいと思う。
「……起きたら夢精してたんだ。笑う?」
シズちゃんは笑わなかった。
「俺の夢を見てよ」
俺は伝票を掴むと席を立ち、伝票に万札を重ねてマスターに渡した。奈倉と甘楽が楽しそうに肩を叩いて行った。俺は自嘲すると、振り返ってシズちゃんを見る。シズちゃんはさっきまで俺がいたあたりをじっと睨み付けてそこに座っていた。
退屈が怖いのさ…俺は嘘を吐かない。きっと俺を退屈させないために、カミサマは俺とシズちゃんを引き合わせたんだろう。
外はいつの間にか夜になっていた。ほとんど星の見えない都会の空を、それでもうつくしいと思う。ひどく煙草が吸いたくなって、俺はポケットに手を入れた。ジッポの油の匂いの染み付いたジャケットを着て、煙草を吸わないのはもったいない気がしたんだ。が、ポケットに入ってるものと言ったらナイフぐらい。俺は自分の健康志向を後悔した。
口寂しさに唇を舐めると珈琲の味がした。言い忘れたが、俺は【浴室】の珈琲の味が嫌いではない。ケーキは甘ったるくてあんまり好きじゃないんだけど。
電灯の回りに飛び交う蛾を見て、あれが人間だと思う。光に群がる蛾のような、輝かしいものに惹かれずには居られない愚かな生き物。そんな人間を愛する俺はもっと愚か、死に値するほど……
「♪言ったでしょ俺を殺して……」
食べたい肉を前にして、他の肉が食べられる?