ライオン
白紙のページに、ぽたりと汗とは違う一滴。幼いあのひとの筆跡が、滴に僅かに滲んだ。
「……ひどいよ」
それは、相合い傘だった。
じんすけと、ときや。
きっと思わず書いてしまって、ページを破く訳にもいかないと聡い彼が糊で貼り合わせ隠した秘密。
それとも、おまじないみたいなものだったのかもしれない。…どうだったのかは、もう解りはしないけれど――……
仁介は鴇也の部屋の真ん中、古びた絵本をぎゅっと抱き締めた。俺がこうしたかったのは、こんな無機物とじゃない。虚しさに胸を締め付けられながらも、絵本を手放すことはできなかった。
十年共に過ごして、俺が手に入れられたのは、あのひとのほんのひとかけら。鬱陶しいくらいに手に入れていたつもりだった愛も、灰になって消えてしまった。
もう、これだけ。
主のない部屋と、嘘っぱちの骨壷。死体はないから行方不明と片付けられて、墓にも入れやしない。存在そのものを、消し去ったのは俺だ。
あんなにも俺の全てだったあのひとは、もうこの一部屋分しか存在しない。
「――――――」
仁介は声に成らない悲鳴を上げた。気が狂いそうだった。俺は、何も乗り越えられてやしなかったんだ。こんなにも、辛い。こんなにも、愛している。こんなにも、声が聞きたい。手に触れたい。あの優しい笑みを向けられたい――……
罰だ。
これは罰だと誰かが笑う。
あの日の幼さの罰だと言う。重すぎる愛に堪えきれず、逃げ出した罰だと言う。
辛い愛を、違う愛で上書きしようとした罰だと、
「――そうさ」
絵本を抱き締めたまま、仁介はふらふらと立ち上がった。さっき片付けた段ボールに手を突っ込んで、ほとんど錆びたカッターナイフを取り出す。
そして仁介は四つん這いになって床に絵本を広げると……――幼子が画用紙にクレヨンを塗りたくるような気楽さで、絵本をびりびりに引き裂いた。
美しい色彩が、崩れて、
文字が、離れ離れになって、
人魚姫の足が、千切れて、
女の、喉が裂けて、
王子の、首が飛んで、
相合い傘がばらばらに別れた。