衷情マリオネット
「俺だって、そうしたろうさ。俺の命なんか、仁介の為ならどうなったって構わない。俺だってお前と同じくらい――……彼奴にイカれてる。が。」
七里は一度下げていた銃を、鴇也の眉間へ向けて抱え直した。
「何を、迷っている?」
「……あ?」
「後悔しているのか?」
何を、と鴇也がはちきれんばかりに怒気を孕ませて問う。しかし七里はその口元が緊張するように強ばったのを見逃さなかった。
「人を捨てたことを悔やんでいるのか?自分の中の【人】は、仁介よりも重かったか?
一時の感情に突き動かされたと思って、後悔しているんだろう。だからお前は、」
「違う」
「違わないな。お前が愛していたのは、仁介じゃない。哀れな弟を助ける兄――大した美談だ。そんな自分に酔っていただけだろう。だからお前は、こんな時になって――……くそ」
がしゃん。
七里の手の中から銃が滑り落ちる。七里は何かを振り払うように大きく首を振ると、剣を胸の前で構えた。これまで何人もの人外を屠ってきた剣が、血を求めてぎらりと光る。しかし恐ろしいのは、それではない。恐ろしいのは剣より、それを操る七里の方……七里は笑った。鬼ですら尻尾を巻いて逃げ出すような、凄絶な笑みを浮かべた。
「だから俺はお前のことが嫌いなんだ―――………仁介は返してもらうぞ」
重い重い、全てを溶かし込む闇よりも重い、沈黙。
鴇也も七里も動かなかった。
鴇也は地面を見つめて、七里は俯いた鴇也の頭を睨めつけて。
「……は」
「…くく。く、…ふ」
「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっひゃはははははははははははははははわかった!!わかったぜ七里!!そう言うことかよ!!!!!!」
沈黙はその重さに比例せず、暴力的なほどあっさりと破られた。
ゆっくりと上げられた顔に、浮かんだ感情は狂喜。どうしようもなく箍の外れた顔だった。狂気に魅入られた瞳が、七里を見据える。鴇也はにんまり笑った。
「七里ちゃん、お前ホンット~~~に、かわいそォだなァ?」
そう言って鴇也はまた、腹を抱えて笑う。嘲るような瞳がじろじろと七里を見た。
「……何が可笑しい」
「わかんねえの?なあ、かわいそォな七里ちゃん……ほんとはわかってるんだろ?」
鴇也は笑いながら、七里へと足を踏み出した。暗闇の中を、蛍のようにゆらゆらと赤い光が近付いてくる。七里は動かなかった。…動けなかった。
「……なァ、七里」
冷たい指先が、七里の顎を挟んだ。
「お前さァ……羨ましいんだろ?」
ふっと、頬に息が吹き掛けられる。人間の血の、生臭い香り。
「俺が手に入れた、人を好きなだけ殺せる権限。それと……仁介。羨ましくてたまらないんだろ?
お前の大好きな仁介さァ……ごめんね。ホントに壊れちゃったよ。顔も声も記憶も、全部仁介なのに、ぜんっぜん、仁介じゃなくなっちゃったんだァ……なァ、どうしたらいい?なァ、お坊ちゃん。馬鹿な俺に教えてくれよォ……?」
鴇也はにやついた口元を崩さないまま言う。しかし、七里は気付いてしまった。鴇也の狂喜に満ち溢れた瞳の中に、浮かんだ一欠片のもの。それは、絶望だった。
「彼奴さァ、俺のこと、愛してるって言うんだよ。俺がいれば誰もいらねェって。羨ましいだろォ…羨ましくてたまんねェだろ?そんだけでおっ勃っちまうくらいたまんねェよな?なァ?俺、最高に幸せだろ?なァ……七里ィ」
鴇也の指がゆっくりと、七里の顎から離れた。そのまま後ろに引いた鴇也は、すっと懐に手を入れた。取り出されたのは由緒ありげな短刀。久藤のものだろうか、と七里は推測する。しかしそれは神道に疎い七里にも判るほど――……穢れきっていた。
「七里、ごめんなァ」
鴇也は申し訳なさそうに笑った。短刀を引き抜くさらりと言う音が、嫌に大きく聞こえた。
七里を真っ直ぐ見詰める瞳は、しかし焦点がもう定まっていなかった。
「王の命令なんだ……だからさァ、七里。王と、そいから俺と、…仁介のために――……死んでくれや」
……どうしたら、良かったのだろう。
あの時仁介を行かせなければ?あの時仁介を救わなければ?あるいは…九十九山の惨事に目を背けていたなら……?
いや。
今はそんな問いは無意味だ。
例え選択が間違っていたとしても、時間を巻き戻すことは出来ないのだから――……後悔など、ただの徒労。
今はただ、殺し合う二人があるだけだった。
一人は帰りを待つ愛しい人を、一人は囚われた愛しい人を救い出すことを願って…