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泣きたいくらい好き

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ジージーと五月蠅く蝉が鳴いている。照りつける太陽は暑くて茹だりそうだ。そんな中で全く暑さを感じさせない邸宅の呼び鈴を鳴らした。少し間をおいてもう一度鳴らすが反応なし。大声で下から呼んでみて、気だるげに二階の窓が開いた。顔を出したのは、眼鏡をかけた見慣れた顔、寝てないのか顔色が良くない。

「あ、先生」
「…静雄か。今日は〆切前だから上げないぞ」
「いつなの?〆切」
「明後日」
「進んでるの?」
「三百枚中二枚しか終わってない」
「全然じゃん」

地上と二階とで大声で会話をする。俺は大声だけど、先生の声は張ってない。でも、よく聞こえる。周りの蝉の声すらも、先生を避けているみたいだ。

「じゃあ、帰る。今度母さんに何か作ってもらってくるね」
「いいから早く帰りな」

それだけ言って、先生はぴしゃりと窓を閉じた。残ったのは暑い太陽と、五月蠅い蝉の声と、先生の声の残響。俺は大きな家に背を向けると、ため息をついた。多分今先生の仕事部屋は、俺みたいな高校生は見たらダメな本でいっぱい。

「エロ小説家って大変だなー」

エロ小説家って言ったらすぐに『エロじゃない、官能小説家。間違えないように』と訂正される。でも俺には一緒にしか見えない。先生は見た目はすごくかっこいい。頭もいいし、勉強だっていつも教えてもらってる。でも自分のことにはてんで興味がない。服だって選ぶのが楽だからって理由だけでいつも黒。担当の女の人は「美形の作家はそれだけで売れるのよ」と〆切関係なく月に一度訪れては掃除などをして、身だしなみを整えさせてから帰る。俺も頼まれて週に二、三回は顔を出していた。それ以外にも理由はあるけど。
そうそう。先生は、俺の父さんの親戚。どんな親戚かは聞いたことない。最初に会ったのは確か小学生の時で、学校から帰ったらリビングで父さんたちと先生がいたのが最初の思い出。

『あぁ、この子が?』
『俺の息子、静雄だ。静雄、これは父さんの親戚でな、臨也と言うんだ』
『…こんにちは』
『ふうん…』

それだけで先生は興味をなくしてしまったようだ。確かそのときの先生は大学生だった。それからいつ卒業していつ作家になったのかはわからない。でも、いつの間にかあの家に住んでいて、いつの間にかエロ小説を書くようになっていた。そしていつの間にか俺は“臨也さん”ではなく、“先生”と呼ぶようになった。

「明後日〆切なんだったら、あと一週間は行ったらダメだな」

ぶつぶつ呟きながら、歩いて十分くらいの距離にある家に戻る。キッチンの母さんにただいまとだけ告げて自分の部屋に入った。そのままごろんとベッドに寝転がる。考えるのは先生のこと。いつの間にか好きになっていた先生のこと。理由はわからない。ほんとにわからない。優しくしてもらった記憶もないし、覚えてる限り笑ってもらった記憶すらない。それなのに、何故か、いつの間にか好きで、いつの間にか一度でいいから笑ってもらいたいと思うようになっていた。

「一回でいいんだ」

笑って『静雄』と呼んでほしい。
「先生…」

俺はいつの間にか眠りに落ちていた。




きっかり一週間、俺は先生の家の前を通らなかった。前を通ると呼び鈴を押しそうになるから。出来るだけ先生の邪魔はしたくないし。そして一週間後、俺は変わらない雰囲気を持つ家の前にいた。呼び鈴の前で一瞬躊躇して、押す。今日はすぐに玄関が開いた。

「いらっしゃい」
「〆切は…」
「大丈夫。二日前に上げたよ」
「上がってもいい?」
「駄目なら玄関開けない。俺も話があるから」

入りなよ、と招き入れるようにスペースを空けてくれた。俺は滑り込むように家の中に入った。リビングに入るといつもは乱雑に本が散らばっている部屋が綺麗に整頓されていた。担当の人が掃除していったのだろう。いつもは置いていないはずのジュースを出され、ちょっと待っててと先生は二階に上がっていった。

「これ」

持ってきたのは一冊の本。表紙には、いつもの裸の女の人が飾っている先生の本とは違う、きらきら光る海が描かれていた。著者は“折原臨也”と記されていた。本名を使ったことなんてなかったはずだ。

「先生…」
「担当が持ってきた。こないだ上げたのは静雄には見せられないものだけど、これは来週出るやつ」
「読んでいいの…?」
「静雄に読ませるために書いたんだよ」

ひょいと先生は俺から本を取り上げ、ぺらっと表紙をめくって見せた。中表紙をめくってすぐ、一行だけ記された“私の愛しい静雄に捧げる”という一文。目を疑った。絶対おかしい。だって先生が、愛しいっておかしいよ絶対。

「これ、せんせ…」
「いつか、静雄に見せられるような話を書きたかった。今までは納得がいくようなものが書けなくて」
「愛しいって…」
「うん。先に言われる前に言っておこうかなと」

見上げると先生は笑っていた。静雄に見せられるものが書けたら言おうと思っていたと言って、夢に見ていた言葉をくれた。
ずるい。先生は本当にずるい。俺の気持ち全部知ってて、俺がずっと前から先生のこと好きなの知ってるはずなのに。こんなところで先手打ってくるなんて。あぁ、ダメだ涙出てきた。ぽたぽた流れ落ちる涙が、本を濡らす。文字が滲む。せっかくの、先生の、本なのに。

「何で泣いてんの…」
「だって、っく…先生が、」「俺のせい?」
「だって…」

首を振るけど涙は止まらない。先生は俯いて本を握りしめている俺の髪を撫でた。ぐしゃぐしゃになっていく本を握りしめる力は緩まない。勿体無いとは思うけど、どうしようもない。先生は俺が泣き止むまで隣に座って髪を撫でてくれていた。

「せんせ、すき…」
「知ってるよ」
「すき…すき…」
「俺もだよ」

先生はぐしゃぐしゃに濡れた俺の頬を涙を拭うように撫でて、キスをしてくれた。


作品名:泣きたいくらい好き 作家名:KOU