首のない小鹿
挨拶の一種。
食事の前に、日本人なら必ずと言ってするそれ。幼少のみぎりから毎日毎食刷り込まれ、忘れれば叱られ…親から子へ、受け継がれる文化。
俺だって、もちろん使ったさ。やらないと落ち着かないし、染み着いた習慣は中々抜けるものではないし。やって何か損することがある、と言うこともないのに、どうしてやらないことがある?
金持ちも貧乏人も、男も女も老いも若きも、飯を前にすりゃみんな一緒だ。唾液を垂らして飯にかぶり付く前に、おてて合わせていただきます。
「いただきまーす」
それは、この男も同じだった。
"食事"を前に嬉しくてたまらない、と言うふうに手を合わせて、決まりきった文句を言い放った。
しかしその言葉はその凡庸さにも関わらず、使われた場の異常さに……酷く、浮いた。
それが俺への死刑宣告だと気付いたのはそのすぐ後だ。
魚の皮でも剥ぐような気楽さでぺろりと手始めに皮を剥ぐ。生の、剥き身の肉に奴は、――津野田は舌なめずりした。
「…………!」
あまりの激痛に、声も出ない。因幡の白兎のように剥き身の顔面が風に吹かれるだけで気を失いそうなほど痛かった。
ねとり、と津野田が俺の頬をなめあげたが、そこにはやらしさなど欠片もない。幼児がソフトクリームをなめあげるのと何が違うだろう――ああ、何を考えているんだおれは。
ぶつり、と、鋭い、牙としか言い様のない歯が皮膚に食い込んだ。激痛に身悶えする俺の腹を津野田が撫でた――……と思ったら、ふと腹部の質量が圧倒的に減った。びちゃっ。四肢とはまた違った触覚が、地面を感じた。
「…………」
もう何も言うことはない。足掻いても無駄なのだ。俺の17年の、そのうちたった二年の俺のための人生は、今ここで終わりを告げるのだ。
足掻いたところで何になる?
もう何も見えないのに。
もう痛みも感じないのに。
もうどうしようもないのに。
――ふと、走馬灯のようなものが走った。ふと、思い出すことがある。
おれはなんのために、いきてきたんだっけ?
なんのために、たたかったんだっけ?
なんのために、ここにいるんだっけ……
『……ょう、ちゃん』
だめだ。
「ぅむ?まだ抵抗する力があるの?今更抵抗するのに何の意味があるの?俺を殺したとして、君はもう死んじゃうんだよ?内臓砂だらけだよー蛙みたいに洗ってしまってみる?…なァんて。無理に決まってるでしょうよー大人しく先生に食べられときな!なっ!」
いやだ。俺は大きく頭を振った。俺を押さえ付ける津野田の手に爪を思い切り食い込ませる。しかし津野田と言ったら、その手を払いもしない。様子を窺うように、じっと押し黙っている。その余裕にこれまでないほど腹が立ったが、これは好機で――……
ふと、くらりとした。
タイムリミット。そんな言葉が頭を過った。いやだ。いやだ。いやだいやだいやだいやだ!!
まだ何も伝えれてやしないのに。まだ何も、始まってやしないのに――……いやだ、よ、
すおう、