痛いことしたい
暴力的に掻き抱くことがあれば、触れることも厭うほど、優しく扱うこともあった。
亜久津の心中などとうに理解している。きっと前者の方がよっぽど楽だと思いながら、それでも未だ子供らしく、優しさに甘えようとするのだ。そんな自分を、本気で恥じている姿に俺の喉は鳴った。普段は無表情を通そうとする亜久津が、なにがしかに苦しめられる姿は甘美的だった。ポエティックでもあった。その原因が俺だということが、俺の支えのようでもある。
意識が飛びかけている時に見せる、縋るような目が好きだ。きっと誰も知らない、俺だけの亜久津なのだと、それもまた子供らしい独占欲なのだろう。
俺も亜久津も、子供であることを免罪符にして、続く先は見ないふりでどうにかしようとそればかりだ。
亜久津が珍しく誘いに乗ってきた時の話だった。
途中までは上手くいっていたのに、突然亜久津がそれはヤダとかあれだけは無理だとか我がままを言い始めたものだから、どうにも苛立って声を荒げた時、売り言葉に買い言葉とは言え、亜久津は運悪く口を滑らせてしまった。
女を抱いたこともない癖に生意気なんだよ、と吐き捨てると、誰がそんなこと言った、とか。まあそんなもんだったはずだ。正直、あの時のことをまともに覚えてもいない。
その”可能性”を考えていないわけでもなかったはずなのに、なんでかその時は無茶苦茶に激昂して、亜久津が憎らしくてしょうがなくて、意図も簡単に自制が効かなくなった。
あれはセックスではなく暴力だったし、腐っても愛なんてものは存在していなかった。同年代の男に使う言葉ではないが、レイプみたいなもので――…… …、……ああ、やっぱり、狂っているように思う。
同年代の、男に、使う、言葉じゃない。レイプなんて。なんて言えば良いんだろう。やはり暴力だろうか?
俺は亜久津に暴力を強いているのか。亜久津もそれを最終的には矜持していたりして。あいつも大概、狂ってるから。
亜久津を手放すことを恐れている俺と、俺に手放されることを恐れている亜久津の、綺麗に噛み合った関係性は気持ちの良いものだった。憎みあいはしろ、恨み合っているわけじゃない。憎しみはいずれ愛情へと挿げ替えることが出来る、曖昧で、示唆しやすいものであるから、俺の心中はそれなりに、穏やかだ。
しかし、もう亜久津がないと生きていけないのかもしれないなんて、そんなことを考えると、心が萎縮しそうになる。
俺が誰と付き合おうが誰を抱こうが殴ろうが、亜久津にとって有益になることは何一つとしてない、はずなのに、あいつは逃げない、逃げてくれない。計算高い男ではないし、授業だって出席率はいつもギリギリなんだから、基本の教養すらままならないだろうに。亜久津が理解できて、俺が理解できない、ただ一つの問題だ。
逃げるということだけはしない。決して。それが俺を安心させていることを、今はまだ知ってほしくなかった。
ポケットの中に沈んだ携帯を、右手で探りだす。
何度も押し過ぎて、覚えてしまった番号がある。画面に表示された「亜久津仁」の文字列は、目に慣れているせいか、うつくしいように思えた。子供の狂気ほど、純粋なものはないな、なんて思いながら。
今日も俺の乱暴は続く。