雨の日の葬儀
そのビニールごしのぼやけた視界の先、鮮やかな金髪を目にしたのはもう大分前のことだった。
わき上がる好奇心といくらかの危機感を秤にかけ、結局いつも通り好奇心が勝り、近づいてその姿を見つめ続けていた。帝人の秤がいつだって好奇心を選ぶことに、まだ彼自身は気づいていない。
人気のない薄汚れた路地で、小雨というには無理がある雨の中、静雄は傘も差さずにもうずっと立ち尽くしていた。トレードマークのバーテン服はすでにびしょ濡れで、サングラスの奥にある瞳はここからではわからない。ただ微動だにせず、視線は伏せたまま。何をしているのかという当然の疑問は、その視線の先を追えば、答えは酷く簡単だった。
予想外でありながら、その予想外であることすらを含めてよくあるようなシチュエーションに陳腐さすら感じる。
タバコの吸殻や、吐き出されたガムなどで汚れきっているだろうアスファルトに、一匹の猫が横たわっていた。
白い毛並みの猫は薄汚れて、アスファルトに血の塊を残していたので、多分これは死骸だろう。
ここで死んだのか、大通りで車にでも轢かれてしまったのか。
ポケットに収められたままの静雄の手を、帝人はじっと見つめていた。もしかしてその手は、猫の死骸を運んで血で汚れているのではないだろうか。そう考えはじめると、帝人はその手を乱暴にポケットから引きずり出し、確認したくてしょうがなかった。それは真実を知りたいというより、その時静雄がどんな顔をするのか見たかったのだ。
本当はやさしい人なんだな、なんて思うほど帝人だって純粋な少年ではない。
静雄が容赦ない絶対的な力で人を傷つけ、その手を同じように血に染める人であることは、初めて会った時から知っている。
けれど、その猫の死骸を前になすすべもなく立ち竦んでいる静雄の姿は、まるでこどものようだった。どうすることも出来ない事実を前に困り果て、その理不尽な悲しみに腹をたてているこども。
それは優しさとは違うのだけれども。
「── し、ずおさん」
呼んだことのない静雄の名は、口にするには勇気がいった。振り返った彼の顔を間近で見つめると、サングラスの奥の瞳が揺れたのがわかる。どうやら自分が近くにいたことに、本当に気づいていなかったようだ。
帝人は押し付けるように静雄にビニール傘を渡すと、持っててくれますか?と少し乱暴な口調で告げる。自分の存在がまるで静雄の目に入っていなかったことに少し苛立っていたのだと、この時初めて帝人は気づいた。
雨に濡れながら、その場でしゃがみこんでそっと猫を抱き寄せる。
「どこかに埋めてあげないと」
それは間違いなく、やさしさなどという感情ではなかった。きっと一人で猫の死骸を見つけても、可哀相だなという想いは一瞬だけよぎるが、ここまでしたかはもうわからない。今はただ、何も出来ないこの人のためにそうするのが一番いいと思ったからに過ぎなかった。
静雄からの返答はない。ただ雨の音だけが響いて、帝人を孤独にしていくばかりだった。
彼はまだ後ろにいるのだろうか。猫と静雄だけだった世界に自分が割り込み、壊されたこの場所にもう興味がなくなって去っていってしまったんだろうか。そんな風に思って、帝人はゆっくり立ち上がってふり返ると、言われたままに傘をさしていた静雄がそこにいた。
何か言いたかったが、上手く言葉が出てこない。ならこれ以上ここにいても仕方ないと、帝人はその場を後にする。
「おい、傘」
まさか、今この場でそんな一番どうでもいいことで呼びとめられるとは思わなかった帝人は、小さく苦笑した。
「あげます。風邪、ひかないでくださいね」
笑顔でそう言うと、静雄は一瞬困惑した表情でこちらを見返す。
「お前、見覚えがあるな。名前、なんていったっけ?」
まさか覚えていてくれたなんて思ってもいなかった帝人は嬉しくなったが、同時に酷く悲しくもあった。
「・・・どうせまた、忘れちゃいますよ」
そう、それが現実だ。きっと彼はまた同じようなセリフを帝人に向けて言うのだ。だったらわざわざ名乗って、また忘れられる必要はない。
静雄が歩みを進め、帝人に近づく。
もしかして殴られるのだろうか、というその予感は、恐怖ではなく期待だった。そしたら自分もやっと彼の視界に入ることが出来るかもしれない。臨也さんのように。
けど静雄は殴るのではなく、代わりにサングラスを外してじっと帝人を見つめた。
「もうわすれねぇよ。名前、教えろ」
「帝人…です」
「帝人」
静雄の声で呼ばれた自分の名前に、帝人の胸は高鳴る。次に会った時、またそう呼んでもらえるのだろうか。静雄の言葉を信じたかったが、少しも期待は出来なかった。