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【ポケモン】旅立ちの前の日

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チェレベル1

 目の前には、大きなテーブルいっぱいに広げられた一枚の白い紙。
 放っておくと丸まっていく紙をおさえるために、ばらばらに置かれたクレヨンの箱がみっつ。
 それを取り囲んで座るのは、このクレヨンと同じくらい古くからのつきあいの三人。
 もう覚えてもいないくらい小さなときから使ってきたクレヨンは、ほとんどが半分より少なくなっていたけれど。かわりに、三人の絆はとても強くなった。
 明日はいよいよ、最初の一歩をふみだす日。
 ずっと一緒だった三人が、初めてばらばらになる日。

「……だからって、さ」
 チェレンは溜息をつき、改めて辺りを見回す。
 白い紙のあちこちにクレヨンをばらまきながら、幼馴染のふたり――トウコとベルが鼻歌まじりに何かの絵を描いている。そんなふたりがチェレンの声に同時に顔をあげた。左右から視線をそそがれ、チェレンは僅かに身をひく。
 咳払いをひとつ。
 気を取りなおしてふたりを見やる。
「なんで今このタイミングでお絵かき大会なんだ?」
「だって」
「ねえ」
 トウコとベルが顔をみあわせ、また同時にチェレンを見る。
 同性だからなのか、単に気があうだけなのか。このふたりのコンビネーションは年を経るごとに良くなっていくようだった。ここのところ、意見が分かれるたび二対一の少数派に回ってしまうチェレンだった。
「ママが部屋の片付してくれたでしょ」
「ああ……。すみませんでしたって伝えておいてくれよ」
「うんうん。ごめんねえ」
 初めてもらったポケモンがうれしくて、うれしくて。外に出るのも待ち切れなくて、トウコの部屋でバトルをした。めちゃくちゃになってしまったあの部屋を、トウコの母親は一日もかけずに片づけてしまったらしい。驚異的な腕前である。
 気にしなくて良いとは言ってもらえたけれど、気になってしまうのが人情というもの。
 チェレンが愁傷に言づけを頼むと、ベルも眉を下げ便乗してくる。
「いいって、ママも元気でいいわねって笑ってたし」
「そう。……で?」
「ああ、そのときに、このクレヨンが見つかったんだ」
 トウコが、自分のそばに置いたクレヨンの箱に視線をやる。その目には、懐かしげな色が浮かんでいた。
 箱にはつたない文字で大きく「トウコ」と書かれている。
 三人の親の誰かに文字を教えてもらって、三人で一緒に、自分のクレヨンの箱に自分の名前を書いた。チェレンの胸にもじわりと懐かしさが湧いてくる。
「それでね、トウコに聞いたらあたしも懐かしくなったからね。探したら、すぐ見つかったの」
「チェレンなら絶対、すぐ見つけて持ってくるって思ったけど、やっぱりだったね」
「ねー!」
「クレヨンは、わかったから。それで、どうしてこの状況なの?」
 やっぱりここでも、二対一。
 寂しいわけではないけれど、自分だけ置いてけぼりというのも面白くない。つい口を挟んでしまう。
「あのね」
 ないしょの話をするみたいにベルが声をひそめる。
 つられてチェレンも耳をそばだてる。
 経緯を知っているはずのトウコまで、真剣そうな顔をして身を乗り出してくる。
「こうして三人で今までみたいに遊べるのって、今日が最後だと思ったの」
 これからは、みんな、それぞれの道を歩いていくから。
 新しい世界をつくっていくから。
 三人で集まる機会はいくらでもあるだろうけれど、そのときにいるのは、この住み慣れたカノコタウンではない。顔をあわせるのは、家のなかでポケモンに憧れてすごしていた自分たちではない。
 冒険をしてみたい。
 新しい世界に触れたい。
 なんでも、やってみたい。
 明日からの日々を考えると気持ちは弾む。
 だけど、少しだけ寂しい。不安もある。
 ベルの短い言葉からも、察することができた。トウコもきっと同じ気持ちなのだろう。
 そこまで考えて気づく。
 今まで考えないようにしていただけで、チェレンのなかにも、同じ気持ちが隠れていた。
「だから、うーん、なんて言うのかなあ。ねえ、トウコ」
「みんなで、思い出作り……んー、ちょっと違うか」
「思い出語り、とか?」
 言葉に悩むふたりにチェレンが助け舟を出す。
 トウコとベルが顔を見合わせ、弾けるように笑いだす。
「やだあ、チェレン、おじさんみたい」
「言い方が、しみじみしすぎてるんだよね」
「な、なんだよ。そんなに笑うことないだろ。ふたりとも」
 ああ、顔が熱い。
 しみじみとしてしまうのだって、仕方ないじゃないか。
 三人でこうして過ごす子ども時代が、今日で終わってしまう。それだけでも寂しいのに。
(明日からは、君たちと会うのに理由がいるようになるんだからね)
 同じタウンに暮らしていれば、たいした理由もなしに行き来ができていたけれど。旅に出てしまえば、それもできなくなる。電話をするのだって、会いに行くのだって、全部理由がいる。
 そういう一切をぜんぶ、気づかないように、考えないようにしていたのに。
 ベルの言葉でぜんぶ、気づいてしまった。
(君たちはいつだって、僕の知らないことばかり、頼みもしないのに教えていくんだ)
 誰かのよろこぶ顔がこんなに嬉しいんだ、ってこととか。
 誰かと離れるのが、こんなに寂しいんだ、ってこととか。
(責任、とってほしいよ)
 大きくため息をひとつ。
 切ない気持ちを大いに表したつもりだったのに、トウコとベルからは「そんなに不貞腐れなくても」と余計に笑われてしまった。


end