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スターゲイザー(一リカ)

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最初に思ったのは、暑いな、ということだった。

日本の空港に降り立つと醤油の匂いがすると土門が言っていたけど、この町の匂いはもっと濃い。食欲をそそるソースの匂いが行き交う町だった。その中に入ると暑さはより一層に増していき、湿度の違いを思い知らされる。独特の発音が犇く道を歩くと、まるで自分が冒険者のように感じられた。
昔の冒険者は星を頼りに夜を歩いたらしいけれど、今は青空が広がる真昼間で、しかも残暑というおまけつきだ。
じゃあ今は何を頼りに自分は歩いているんだろう、と思う。思うだけで声にはしない。じわりと額に汗が滲んだ。
星条旗の中、青を背中に浮き上がる星がはためく様を思い出して、白い太陽に目を細める。
自由の国。それは同時に根無し草の意味を持つ。日本とアメリカをふらふらとしながらどっちつかずで生きてきたこの14年間を無駄だと思ったことは無い。それでも何処かへ帰りたいと思うのは、きっと今の日本の現代病だ。まるで田舎を持たない都会の核家族のような。

ゆっくりと一之瀬は立ち止まった。たった一度来ただけだったのに、すんなりと辿り着けたのはきっと彼女に言わせれば愛の力なのだろう。黙っていれば赤い糸を手繰って走り寄ってきそうな笑顔を思い出した。日本に帰ってくるだなんて言っていない。リハビリの経過さえ知らせなかった。それでももしも、彼女に会えたら。
一之瀬はたった数度しか呼んだことのない名前を囁いた。一之瀬は奇跡の男だったからだ。一度目も、二度目も、そうやって立ち上がってきた。空に翻る星条旗の、一等星を目指して何度だってその足で立ち上がってきた。立ち止まったことも、いっそ足でなくこの腕だったらと思ったこともある。それでも立ち上がることだけはこの足でしか出来ないし、この腕だって、きっと今から必要になる。
じり、と太陽が一之瀬の首筋を焼いた。肩掛けのショルダーバッグがその光を乱反射する。
一之瀬はもう一度、彼女の名前を呼んだ。誰にも気付かれない声で。運命論を信じている訳でも、本当にこの小指に糸が絡まっていると思っているわけでもない。ただ、その名前を呼びたかった。
ふ、と小さく息を吐き、一之瀬が踵を返したその時だった。

「ダーリン!」

しばらく聞いていなかった呼び名が青空を裂く。振り向けば、そこには今まで見たことの無い真っ白いワンピースを着たリカが居た。口を開けて、両の拳を手持ち無沙汰に握り締めながら、一之瀬の事をじっと見つめている。
その白いワンピースに乱反射する光が何より眩しく、一之瀬は思わず目を細めた。空色の髪の毛は少し伸びて、相変わらずその睫毛は上を向いている。それでもその両目に浮かび始めた水滴を、一之瀬は見た。一等星の輝きみたいに、自分を燃やす情熱的な輝きがそこにある。

「…ウチ、めっちゃ、心配したんやで」

ぎゅ、と両の手を胸で握り締め、リカは喉を震わせる。零れる言葉は微かに揺れていて、浮かぶ水滴は今にも溢れてしまいそうだった。けれどリカは、一之瀬の記憶に残っていたものと同じくらい輝き、でも、と言いながらそれでも少しだけ困ったように笑った。

「おかえり、ダーリン」

へにゃりと力を無くした様に下がった眉が、なんだかとても女の子らしくて、一之瀬も込み上げる何かで目の奥を熱くする。喉がからからに渇いて貼りつき、上手く唇を動かせない。リカの背中から広がっていく青空が眩しかっただなんてそんなものは誰も信じない言い訳だ。胃からせり上がってくる熱さを飲み込んで、精一杯の笑顔で一之瀬は言った。

「ただいま」

思わず広げた両腕に、迷わず飛び込んでくるリカを抱き止める。リカの額が肩に押し付けられ、こんなにも身長差が出来てしまったのだと今更ながらに気付いた。
おかえり、だなんて、言われる資格は無いのだと思っていた。何処へ行ってもそこは新しい場所でしかないのだと、心のどこかで諦めていた。それでもリカは一之瀬におかえりと言って、一之瀬はそれにただいまと返した。
昔の人は星を頼りに歩いたと言うけれど、今の青空の向こうにだって星は瞬いている。太陽の光の向こうのもっと奥で、それでも冒険者が歩いているのをじっと見守っていて、気付かないのはそれを見上げず歩き続けた者たちで、あの星は帰る場所を用意して、ずっとそこに居たのだ。

「…世界一には、なれなかったけど」

ぽつり、と一之瀬は呟く。その言葉はしっかりとリカにも聞こえていた。
けれどリカは一之瀬の背中に腕を回してぎゅうぎゅうとしがみ付きながら、あの、やはり輝かしい女の子の声で笑う。

「何言っとるん。最初に会った時からダーリンはウチのスーパースターやで」

一之瀬は目を見開く。うん、とも、ありがとう、とも言えなかった。ただ双眸から零れ落ちる熱い雫をリカの肩口に染み込ませながら、リカの背に回した腕に力を込める。
ここが天下の往来だとか、きっとこの光景は光の速さで伝聞されるんだろうことだとか、一之瀬の頭の片隅が叫んだような気がしたけれど、敢えてそれに蓋をする。リカの白いワンピースに落ちた涙はきっと弾けて輝く星になるだろう。そうしてそれらはまた一之瀬におかえりを言うためにいつも何処かで煌く命を燃やすのだ。

「リカ」

たった数度しか呼んだことの無い名前を呼ぶ。空色の髪の毛が柔らかく揺れた。そうして一之瀬は再び、今度は今までで一番優しい声ではっきりと言葉を紡いだ。待っていてくれてありがとう、好きでいてくれてありがとう、気付かせてくれてありがとう。全部の気持ちを込めて、一之瀬は笑った。

「ただいま、リカ」

星条旗は勇者の上に、ずっとたなびいていたのだ。