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この手が届いたら

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その可能性については、予測していたはずだ。多分臨也は知っていたのだろう、帝人がそれの創始者である、と言うことを。そうでないなら、ただの高校生の帝人を調べることなんかない。知っていたから、臨也は、情報屋として帝人を調べたのだ。
そこまでは、予測の範囲内だ。
帝人は必死になって自分にそう言い聞かせる。
だから、動揺するな、今ブレるな。自分のせいで臨也が、なんて思うのはよせ。そんなの筋違いだ。
「さあ、こっちの話は終わったよ。次は君の番だ」
無言で促す静雄と新羅に、帝人は大きく息を吸って、吐いて、答えた。
「これから言うことは、大真面目な話なんです。笑わないでください」
そうして、全部、全部、話した。
折原臨也という、陽気な幽霊のことを。





夕暮の赤が、街を染めてゆく。
折原臨也は廃墟のビルの上から、赤に飲み込まれる池袋の、街を、人を、その渦を見下ろしている。この巨大なコンクリートの、隅から隅までを歩いた。どれほど探しても、探しても、空白が埋まることはない。
「・・・食べられちゃったみたいだな」
誰にともなくこぼした一言は、ただ一筋の雨粒のように街に落ちてゆく。
心の一部を食べられてしまったみたいだ。記憶喪失というのは間違いなのかもしれない、失ったのではなく、完全に消えたのだとしたら、どうすればいい?
ならばその空白は、なぜざわめく。
どうして、まるで、何かを呼ぶように。
「帰らなきゃ」
なぜ?
「戻らなきゃ」
どこへ?
「・・・帝人、君」
ねえ君は、一体、誰なの。
戻らない俺の記憶の中に、君は、どれほどの容量で、いるというの。
幽霊になったと知ったとき、臨也は自分の死を疑いもしなかった。あれだけ極悪非道に生きてきた自分だ、そんなふうにあっさりと死ぬこともあるだろう。けれども跡形もなくなるのはこわかったから、むしろ幽霊という形で残れたことを感謝した。
けれども時を過ごすごとに、一人が辛くなる。
誰も臨也を見ない、誰も臨也の声を聞かない。それは想像以上に苦痛で、悲しく、そして酷く心を揺るがす事態だった。誰か、誰でもいいから、聞いてくれ、見てくれ、触れようとしてくれ。そんなふうに叫んでも、誰一人振り返らない。誰一人気づかない。
誰にも認められないのならば、それは「無い」と同じなのではないか。
自分を定義するのは他人だ。自分が此処に確かに在ると思っても、それを自分以外の全員が否定するならばそれは果たして在ると判断していいのか。無い、とするべきなのではないか?だったら今の臨也の状態は、まさにそれではないのか?
あれほど恐れた「無」に、自分は今、限りなく近いのではないのか。
考えれば考えるほど、その恐怖は臨也を蝕み侵食していった。自分しか、自分を認めるものがないというのは、どれだけ不安定で頼りないことか!
だから、だから、帝人が自分の声に答えたとき、本当に泣くかと思った。
喜んで飛びつくような真似をしながら、心の底で、あの時臨也は笑っていなければ声を上げて泣いてしまいそうだったのだ。目をあわせてくれる人間がいる、声に答える人間がいる、ただそれだけが、今の臨也には奇跡だということを、帝人はきっと知らない。
だから今、臨也が彼にまとわりつくのは、完全に自己満足のためなのだ。
そんなワガママのために、あの小さな少年には、酷く無理をさせていることを知っているのに。知っていても、話しかけるのをやめられないのは怖いからなのだ。次の瞬間もしかして彼は、一瞬で自分を見失うかも知れない。
ほんの些細なことで自分を見えなくなってしまうかもしれない。そうなったら臨也はやがて、自分が本当に存在するのかどうかが分からなくなって、そうして、きっと無になるよりもずっと苦しむことに、なる。
疲れてぐったりと眠る帝人の姿を見るたびに、どうしたらいいのかわからなくなる。離れなければ帝人は疲れるだけだ。分かっているのに。


・・・分かって、いるのに。



作品名:この手が届いたら 作家名:夏野