君に 星空を
「エッジ!」
遠くから呼ばれたような気がして振り返る。
けれど自分の後ろに続く道には街路樹が青々とした葉を揺らしているだけで、見も知らない通行人がぱらぱらと歩いているだけ。
当然、エッジに向かって手招きしているとかこちらに呼びかけているだとか、そんな様子は微塵もない。
はて。
首を傾げつつ頭を前に戻すと、再び、
「エッジ!!」
今度は明らかに笑いを含んだ声音で、先程よりも音量の上がったそれは、耳によく馴染んだ声だった。
なんだよジョー、と、そう応えたかったのだが、再び振り返ってもさて、声の主の姿は見当たらない。
(………?)
きょろきょろと見回していると、二人分の笑い声が降ってきた。
そう、降ってきたのだ、頭上から。
首をぐいと持ち上げて、見上げると、2階の柵の向こうから、首から先だけ乗り出しているふたつの頭。
本人が実は少々気にしているそばかすの顔のミラーと、トレードマークのポニーテールをひょこりと垂らしたジョーと。
「なんだよどうしたの、そんなとこで」
真上の二人を見上げると、ちょうど真昼の太陽をまるで背負ったみたいに眩しくて、エッジは目を細めた。
「今からお昼! 一緒に食べない?」
「三十秒以内な!」
いくなんでもそりゃ無理だろ、と肩を竦めたが、それはそれで難題を出されたら攻略したくなるのが男心というものだ。
「よし、待ってろよ!」
叫んで腕をまくって、スタートダッシュをかけた頭上でミラーがカウントを始めた。
1、2、と楽しげな声が響く空に辿り着くまでは、建物の中に入って階段を一度折り返して、それから扉を開けて、と手順はそれなりに多いけれど。
待っているのが見慣れた笑顔二つなら、全力疾走も悪くはない。
一段飛ばしで駆けあがった階段ごときでは、アストロノーツの訓練を積んだ自分は息を切らすことはない。
身軽に辿りついた眼前の扉を開けると、途端に開ける視界。
今日は朝からとてもいい天気で、透き通った空が宇宙に繋がるのを想像するだけで胸が躍った。
その青の下に、自分を待ち構える笑顔、ふたつ。
「……29、30」
「ジャスト!」
指折り数えるミラーと、指を立てて片目を瞑ったジョー、
と、
「あ、れ、」
そこにあるのはそれだけだと思っていたのに、見慣れた顔がもうふたつ。
なんだ、勢揃いじゃんか、と呟くと、
「間に合わなかったら、没収だったそうだぞ」
残りの二人、ブレットとハマーのうり、ブレットが口元だけで笑って、手元がひゅ、と動いた。
何かがそのブレットの手のひらから離れて、宙に舞う。
「え、と、わ、」
ぽんと高く放り投げられた四角い箱を取り損ねて、ごつ、と頭に当たったそれをなんとか今度は受け止める。
「ばぁか」
言って笑って、ぺろりとミラーが舌を出した。
「落としても没収されるところだったらしいぞ」
ハマーがそう言って、ジョーが肩を竦めたけれど、二人とも瞳は笑っている。
「え? 何これ。え?」
深い青色の包み紙はいたってシンプルで、真っ白の細いリボンがかかっているのがまるで宇宙に一筋流れる流星のようだ、なんて、自分が詩的なことを言ったらミラーやハマー辺りは笑うのかもしれないと、そんなことを考える。
ジョーだったら、エッジにしては文学的なこと言うじゃない、とからかいを含んだ笑みを乗せるかもしれない。
ブレットだったらどうだろう。
また口元だけで笑って、そうだな、なんて静かな一言だけ、寄こすのかもしれない。
けれどそんな発言の出番はなく、
「何これじゃないわよ」
「プレゼントに決まってるじゃん」
「え? あ、そっか」
別に忘れていたわけではないけれど、そう、今日はエッジの誕生日で。
「……開けてもいいか?」
「いいわよ、もちろん」
仲間でプレゼントを贈り合うのはチームを組んで以来の習慣で、それなりの期待をしていなかったと言えば嘘になる。
細いリボンは端を引くとするりと外れた。
深い青の包装紙を丁寧にめくると、今度は白い箱。
なかなか辿りつかない中身に、もどかしくなる。
見ている視線はいたって温かい。
やっと取り出した箱の中は、
「これ………」
別にどこかの女の子と見てもいいんだけど、とジョーがいたずらっぽく笑った。
割と周りの女子に軽く声をかけるエッジを普段から窘めるでもなく呆れて見ているジョーは、残念ながらかけらも男としての自分には興味がないらしい、と分かるのはこういうときだ。
けれど、仲間としてとても大切に扱われていることは知っている。
エッジの手の中を覗き込んで、ジョーは笑った。
黒い四角いそれは、小型の星空の投影機だ。
簡易型の、とても簡単なものではあるけれど、例えば小さな一人部屋で星空を浮かべるには十分すぎるもの。
「みんなで一緒に見るのも、いいかと思ったのよね」
エッジはアストロノーツを目指すものとして当然というべきかなんというべきか、星が好きだ。
あの漆黒の海にこぎ出す日を夢見て今ここにいる。
夜空を見上げれば胸は躍る。
そう遠くないはずの未来に、思いを馳せる。
それはきっと、仲間の誰もが同じ。
「ありがと…」
そういう思いを受け止めてもらえることの稀有さに、エッジの心は温かくなる。
「ジョー、」
「どういたしまして」
首をひょこんと傾けて、そうして笑うとジョーは本当にかわいい。
「ミラー」
「今日、エッジの部屋で上映会な」
ひとつ年下の仲間は生意気だけれど、調子のいい自分にはこれくらいがちょうどいいのだろうと時々思う。
「ハマー、」
チーム1の巨漢は人のよさげな笑みを浮かべた。
「……リーダー」
「大事にしろよ」
多分笑ったのだと思う。
バイザー越しの瞳ではあったけれど、持ち上げられた口端だけでなく、柔らかくなった雰囲気からも、それは十分に伝わる。
そういうことが分かる程度には、傍にいたから。
「……ありがと、みんな」
温かい笑顔に囲まれて、エッジもまた、最高の笑顔を頬に乗せた。
* Happy birthday astro boy! *
2010.10.11