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望みは絶えず

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緩やかな毒のような平穏に包まれたファズの故郷・カンタレラは今、赤い炎と人々の悲鳴に包まれている。
 ファズは目の前の光景が理解できず、燃え落ちていく村を前に呆然と立ち尽くしていた。
 数時間前までは、村は日常のなかにあった。既に意味も失われた儀式、真剣な顔でそれを見届ける村人たち、そんな彼らを一歩離れた所から眺める自分。全てが調和の中にあった。
 なのに何故、こんなことになっている。
「いや!離して!」
 絹を裂くような悲鳴が聞こえ、ファズは思考の網から免れ、ハッと目を見開いた。視線を周囲に向ける。
 見慣れぬ青い服を纏った男が、ミシーの腕を掴みあげていた。炎に照らされたその顔は、遠目に見ても解るほど歪な笑みに歪んでいる。
 瞬間的な怒りに、視界が真紅に染まった。
「やめろおおおお!」
 気がつけばファズは絶叫し、彼の愛剣を片手に男へと踊りかかっていた。
 慣れた重みを思い切り振りあげ、勢いをつけて男に叩きつける。だがその青い男は、歪みきった笑みも、ミシーの腕を掴んだ手もそのままに、片手に抜いた細身の剣で軽々とファズの一撃を受けた。
「随分と威勢のいい野良犬じゃないか。ひひっ!わざわざ死にに来るなんて、結構なことだねえ」
「黙れ!貴様、ミシーを離せっ!」
 鍔迫り合いのまま、射殺さんばかりに男を睨み据えてファズは吠えるも、男はさして感慨を受けた様子もなく、僅かに首を傾げただけであった。
「ミシー?ああ、この子の名前か。君の妹かなにかなの?」
「貴様に教える義務は、ないっ!」
 力を込め、男に押し勝とうとする。が、男は微動だにする様子もない。
 ファズの額に汗が浮いた。この男、見た目こそ優男のようだが、自分などは足元にも及ばないほど、強い。
「そろそろ邪魔だよ。退け」
 男が軽く腕を振る。それだけで渾身の力を込めていた剣先は勢いを逸らされ、ファズは耐えきれず後ろへと吹き飛んだ。地面へと背を強かに打つ。息がつまり、視界が痛みに滲んだ。
「兄さん!」
「やっぱりおニイさんなんじゃないか。そうだ、君なら知ってるかなぁ?」
「なんの、ことだ……?」
 痛みに耐えながら起き上る。男はミシーの腕を引き、自身の方へ無理矢理よせながら、ひときわ大きな天幕のほうへと剣を向けた。
「族長の子供を探してるんだけど、知らないかい?銀髪の兄妹だって聞いてるんだけど……あれ、そういえば君らも銀髪の兄妹だねえ!なんたる偶然だ!ひひひひっ!」
「…………なぜ、族長の子供のことを知っている」
「カンタレラのジグ」
「!?」
 思わぬ所で出てきた、故郷を――自分を捨てて去って行った親友の名に、ファズは眼を見開いた。
「ジグ……?」
「ああ、やっぱり知り合いなんだねえ。こんな小さな村なら当たり前か。ひひっ!そうそう、そのジグがね、教えてくれたんだよ。イロイロと」
 にんまりと、男の薄い唇がより三日月形に歪む。
 ジグはそんな男じゃない。瞬時にそう思った。そう口に出そうともした。だが、声は喉につかえ、出る事はなかった。故郷を出てガンドアで生活していくうちに、ジグが変わってしまったのかもしれない。そんな考えが頭をよぎる。それから、唯一無二であるはずの親友を疑っている自分に衝撃を受けた。
「その様子じゃ、結構仲良しだったのかな?親友だったりして?裏切られるってのはどんな気分だい?」
「煩い!!!ジグは……ジグはそんな奴じゃない!!!」
「兄さんっ、こんな奴の言う事をまともに聞いてはだめ!」
 ファズは子供のように首を左右に振り、叫んだ。兄の様子に不安を覚えたのか、ミシーも声を上げる。男はそんな兄妹の様子を楽しげに眺めていた。
「僕は君に同情してあげてるんだけどねえ。……さて、僕はそろそろ、この子を連れて帰らせてもらうよ。こんな田舎にこれ以上長居するなんて嫌だからね。ひひっ」
「な……っ!ふざけるな!ミシーを離せ!」
「嫌だよ。……ああそうだ。良い事を思いついた」
 強引にミシーの腕を引いて、男がファズへと歩み寄ってくる。ミシーが小さく痛みに声を上げた。
 ファズは慌てて剣を構えたが、男がミシーを捕まえている以上、先程のような奇襲でもない限り剣を振るう事などできない。
 男はそんなファズの心情を見抜いたように、歪な笑みを更に深くして、ファズに顔をよせて来た。一歩踏み込めば口付けでもしてしまいそうなほどの近距離に、ファズは無意識のうちに息をのむ。
「君、僕のイヌになりなよ」
「イヌ……?」
「そう、イヌ。番犬。野良犬から飼い犬に進化させてあげるよ!お望みなら首輪をつけてあげたっていい!肌が白いから、赤い首輪なんかが似合うかもしれないねえ。ひひひひひっ!」
「ふざけ……っ!」
「いいのかい?僕にそんな口を聞いて」
 激昂しかけたファズを制するように、ミシーの腕を勢いよく男が引く。声こそ出さなかったものの、ミシーの顔が苦痛に歪んだ。ファズの勢いが目に見えて殺がれていく。
「兄さん、私の事はいいから逃げて!お願い……!」
「健気なミシーはそう言っているけど……どうする?逃げるなら追わないであげるよ?負け犬を追いかけるのは趣味じゃないからねえ。ひひっ」
「挑発に乗っては駄目!私は大丈夫だから、兄さん、今は逃げて!」
 ファズは静かに目を閉じた。様々な感情が浮いては沈んでいくなか、最後に残ったのは諦観と絶望と疑惑と――そして僅かな希望だった。
「…………わかった。あんたのイヌになろう。その代わり、妹には手出しをするな」
「ひひひひひっ!妹も健気なら、兄も実に健気だ!万人も涙するほどの兄弟愛だ!素晴らしい!よし、今日からお前は僕のイヌだ。そういえば名前を聞いてなかったね」
「……ファズ」
「ファズ!君は今日から僕の可愛いペットさ!ああ、ご主人様の名前を教えておこう。僕はユーリ。七騎士のユーリ。さあ、ユーリ様と呼んでごらん」
「…………」
「どうしたんだい?イヌになるって言ったくせに、そんな事も言えないのかい?」
「……ユーリ、様」
 屈辱に脳を焼かれる思いで、ファズはその言葉を絞り出した。その様子に嗜虐の悦楽を見出しているのか、男――ユーリは実に楽しげに頷いた。
「さあ、お家に帰ろうか。ファズにミシー。これから楽しくなりそうだね。ひひひっ」
「兄さん……」
 未だにユーリに手を掴まれ続けているミシーが、ファズの方へ顔を向け、名を呼ぶ。
 ファズはその声に応えることはせず、ただひたすらこれから自分が堕ちていくだろう暗闇の深さと、自分を救うだろう一筋の光に思いを馳せていた。
作品名:望みは絶えず 作家名:和泉せん