嘘と傷
いのにも関わらず、その才覚を現した鴇也は新たな不夜城の王として君臨するこ
ととなった。手に入れられるならば自身の全てを捨てても欲しかった弟、仁介を
文字通り鴇也は自身を捨てて手に入れた。想定外の存在だった、幼馴染みであり
仁介の思い人だった七里も躊躇なくほおむった。なけなしの威勢を盾に歯向かっ
てきたかつての幼馴染みは、鴇也の目には幼少期の泣き虫で、弱いままにしか映
らなかった。こんなに脆い人間を弟は愛していたのかと思うと、輪をかけて憎ら
しくなる。ただでさえ弟を愛する人間全てが憎いというのに。覚醒したばかりの
若い鬼の王の手により、七里は簡単に血まみれの亡骸だけを残して逝ってしまう
。仁介の悲痛な、叫びにも似た泣き声が、王を迎える為の豪奢な椅子だけが残さ
れた謁見の間に響いた。
愛する人を喪い、虚ろな目をした漆黒の花嫁を毎晩侍らせて、かつての王が居た
頃よりも絢爛さを増した謁見の間で鴇也は月を眺めていた。月明かりの中ででも
、花嫁の白い肌に王の執着を形にしたかのように刻みつけられた痕はうっすらと
浮かび上がる。冷たく輝く月から一瞬目を逸らし、所有の証を満足げに見るなり
、王は花嫁の首輪の鎖をぐっと引き寄せるなり唇を奪う。苦しげに眉間をひくり
と寄せるなり、瞼が閉じられて接吻を受け入れるのが見えた。弟を手に入れてか
ら幾度となく見た光景だった。完全に鬼になったはずの鴇也だったが、何故か時
折その光景を見るとやはり拒絶されているように感じた。かつて人間だった頃の
自分がそう言っている気がする時があった。唇を放すと、束縛が解けたかのよう
に身体の力が抜かれ、瞼が開かれる。王には花嫁が解放され、安心しているかの
ように見え、目を背けた。花嫁は表情を浮かべないまま月を見やる。まるで月か
ら使者が来るまでの、地球で過ごしている間に故郷が愛しくなってひたすら眺め
ているかぐや姫のようだ。かぐや姫は月に帰ることができたが、仁介は違う。不
夜城での決戦の夜の果ての未来は閉ざされたままだ。もう仁介の目の前に現れる
ことはない。月を眺める仁介を横に、鴇也は左腕に目をやった。鬼になってから
随分と経った今でも残る左腕の傷。嘘を差し出して渇望していたものを強引に手
にいれた罰であるかのように残された傷。もしかすると、これは七里が仁介を守
るためにした最後の抵抗であり、攻撃なのかもしれない。鴇也が最後まで嘘を嘘
としたまま、仁介を上手く浸け込んだことに対して、鉄杭を急所に打つことが出
来ない代わりに、自由を取り戻した左腕に傷を残すことを選んだのかもしれなか
った。おそらく滅びの時が来るまで残るだろう。呪いのように。
鴇也は横で侍らせていた仁介を抱き上げる。立ち上がると、首輪についた冷たく
重い鎖が金属独特の鈍い音をたてた。二人が去った後の謁見の間は静けさを増し
、不夜城には王の足音だけが響いていた。