疑惑の霧
「はーい、ジュリーちゃんのお部屋にいらっしゃーい」
聖地、と呼ばれる場所に似つかわしくない軽薄で騒々しい声がする。
その声の主は、加藤ジュリー。腕の中には連れ去って来たボンゴレの霧の守護者、クローム髑髏を抱いている。彼女は大人しくジュリーの腕の中で眠っていて、ぐったりと体を預けている。
ジュリーがクロームを連れて来たのは、自室として割り当てられているスペースだ。
クロームを連れてきた事に炎真だかアーデルハイトだかが何か言っていたような気もするが、ジュリーにとってそんなことは別にどうでも良かった。確かにシモンとしての目的はボンゴレの排除だが、加藤ジュリー個人としての目的はこの娘である。それを今更どうこう言われる筋合いはないし、なんだかんだ言いながら、彼らだってそんなジュリーの性格を知っているはずだ。
自分のベッドへ、眠り続けるクロームを大切に寝かせてやる。本当は一緒に着替えもさせてやりたいところだが、それは彼女が起きてからの楽しみにしておくことにした。
「さ、て、と、お姫様はいつ目を覚ますかな〜」
ベッドの端に腰を下し、眠るクロームの顔を見つめる視線はあくまでも楽しげなものでしかない。
だが、彼らを取り巻く事態そのものは、決して楽しげなものではなかった。
ボンゴレの継承式での出来事。
あれの一件でシモンはボンゴレへ宣戦布告を行った。
他の面子はどうだか知らないが、ジュリーは随分と冷めた視線でそれを見ていた。
何故ならば、ジュリーは幼い頃からシモンの怨嗟の歴史を子守唄代わりに聞かされながらも、その一方で何故か、ボンゴレの守護者としての記憶も持ち合わせていたからだ。どうも自分はかつてD・スペードという存在であったらしく、その上に、ボンゴレとシモンとの裏切りの歴史とやらにも一口噛んでいたようだった。
その歴史とやらの真相はともかくとして、ジュリーの前世らしきものがボンゴレ側の人間だったと言う事が誰かに知られれば面倒なことになる、ということだけは幼心にわかっていた。だから自分に関わる誰にも、この事を打ち明けた事は無かった。
そうやって相反する記憶を持ちながらもひた隠しにしてき続けた。黙っている苦痛もそれなりにはあったが、それ以上に面倒事はご免だった。
そんな複雑な生い立ちがあったから、こんな具合に捻くれて成長をしてしまったのだ、と誰にも悪びれることなくジュリーはそう思っていた。己の中にある記憶を隠し続けなければならない事情もあって、昔から嘘つきで適当な態度をとることばかりしていたから、お陰さまで今、彼が一人で勝手気ままに動いていたいても、誰も怪しんだりすることはない。
「それにしても、こうもまあ上手くいくとは思いませんでしたけれどね」
と、ジュリーらしからぬ芝居がかった丁寧な口調で独り言を呟く。その姿にはスペードの影がちらついていた。
何故、彼が今になってこんな騒動を大きくするような小細工をしたのかは、結局ボンゴレが原因だった。
仮にもシモンの一員として居る限りは、嫌でもボンゴレの噂を耳にする。例えジュリー本人が望んでいなくとも、噂の方から勝手に飛び込んでくるのだ。
だから今のボンゴレの噂を聞いた時、遠い昔にボンゴレに居た自分の中のスペードが騒ぎはじめたのだ。今のボンゴレは、自分が求めた理想のボンゴレではないと。
許せなかった。
理屈ではなく、ただそんな感情が沸き起こった。
今まではシモンの裏切りの歴史を聞いたところで、大して憤ることもボンゴレへの恨みを抱くこともなかったジュリーだったから、そこまで強い感情が自分の中から沸き起こるのが、自分でも不思議だった。何故だろうかと考えた時、自分の中のスペードだった部分が、その記憶が、ボンゴレを許そうとはしていない事に気が付いたのだ。
どこに居ても裏切り者のD・スペード。だが、それは全てスペードなりに大切だと思うもののために働いた過程に過ぎない。スペードの存在と働きがあったからこそ、その結果としてボンゴレが成長を果たした部分も大いにある。せめて自分が追い求めた姿のボンゴレであるならば、それでも良かったが、あまりにも今のボンゴレの姿はそこからかけ離れていた。
だからリングという力を手にしたシモンの面々を唆して、わざわざこんな真似を引き起こしたのだ。
ボンゴレもそうだが、シモンの連中も大概間が抜けている、とどこか冷めた気分でジュリーはそう思う。
D・スペードとして幻覚でもって姿を偽り、彼らの前に姿を現した時だって、誰一人として彼の幻覚を見抜くこともなければ、怪しむこともなかった。もちろん、かつてボンゴレの守護者であった者がシモンに力を貸すという言葉を素直に鵜呑みにすることは無かったが、今のボンゴレは認められないのだと話せば、打倒ボンゴレの意志の元に、彼らはあっさりと彼の―D・スペードの言葉を信じた。いくら力を取り戻す機会が訪れたからといって、浮足立ち過ぎている。どいつもこいつも、間抜けにも程がある。
侮蔑と呆れの混ざったため息をつく。
そんな鬱陶しい感情に襲われたのが不快で、気分を変えてしまおうと、改めてクロームの寝顔を眺める。
「いやー、それにしてもクロームちゃんは可愛いよねえ。
ボンゴレにしておくのが勿体ないくらい」
彼女に出会って気に入ったのは本当に偶然のことだ。もちろん、ボンゴレの守護者たちと接触を図り、その力を見極めるという意味では意図的な出会いだったが、ジュリーがクロームの事を気に入ったのは本心だった。
「それに、いろんな意味で使えそうだし……ね」
意味深に呟くその表情は、日頃見せている、明るく軟派な彼のイメージとは裏腹に、何か底知れぬ事を企むものだった。
彼が何を考えているのか、誰一人として知っている者は居ない。知ったところで、誰かが容易にどうにかできるものでもないが。
「クロームちゃんの寝顔見てたいけど、それだと起きた時にびっくりしちゃうかな〜?ちょっと離れておいてあげようかな」
眠っている彼女の顔を覗き込む。近くでじっくり見れば見るほど、可愛らしい。
ついでに唇も奪ってしまおうか、などと調子よく不埒な事を考えなくもないが、そこはそれ、ジュリーは紳士なのだ。キスをするならきちんとお互いの存在がわかっている方が良い。一方的に慰み者にするくらいならばいくらでもできるけれど、それだけではつまらない。
「ほんっと、つまらないよね」
まだ誰一人として気づいてはいない。昔も今も、この自分の手のひらの上で誰もが踊らされていると言う事を。
シモンはボンゴレの事しか見ていないし、ボンゴレもまた、シモンの事しか見てはいない。今はお互いを睨みあう事で精いっぱいの彼らには、よもや第三者の介入によって、いいように自分たちが利用されているなど考えることもできないだろう。
もし万が一誰かがそれに気づいたとしても、それはそれで面白い。その方が何かと張り合いがあるというものだ。
「ひょっとしてクロームちゃんなら、本当のジュリーちゃんに気付いてくれちゃったりするのかな〜?」
にやにやと、まるでゲームを楽しむかのような笑みを浮かべ、ジュリーはクロームの髪に触れた。昏々と眠り続けるクロームは、知らない男に触れられているというのに目を覚まさない。
聖地、と呼ばれる場所に似つかわしくない軽薄で騒々しい声がする。
その声の主は、加藤ジュリー。腕の中には連れ去って来たボンゴレの霧の守護者、クローム髑髏を抱いている。彼女は大人しくジュリーの腕の中で眠っていて、ぐったりと体を預けている。
ジュリーがクロームを連れて来たのは、自室として割り当てられているスペースだ。
クロームを連れてきた事に炎真だかアーデルハイトだかが何か言っていたような気もするが、ジュリーにとってそんなことは別にどうでも良かった。確かにシモンとしての目的はボンゴレの排除だが、加藤ジュリー個人としての目的はこの娘である。それを今更どうこう言われる筋合いはないし、なんだかんだ言いながら、彼らだってそんなジュリーの性格を知っているはずだ。
自分のベッドへ、眠り続けるクロームを大切に寝かせてやる。本当は一緒に着替えもさせてやりたいところだが、それは彼女が起きてからの楽しみにしておくことにした。
「さ、て、と、お姫様はいつ目を覚ますかな〜」
ベッドの端に腰を下し、眠るクロームの顔を見つめる視線はあくまでも楽しげなものでしかない。
だが、彼らを取り巻く事態そのものは、決して楽しげなものではなかった。
ボンゴレの継承式での出来事。
あれの一件でシモンはボンゴレへ宣戦布告を行った。
他の面子はどうだか知らないが、ジュリーは随分と冷めた視線でそれを見ていた。
何故ならば、ジュリーは幼い頃からシモンの怨嗟の歴史を子守唄代わりに聞かされながらも、その一方で何故か、ボンゴレの守護者としての記憶も持ち合わせていたからだ。どうも自分はかつてD・スペードという存在であったらしく、その上に、ボンゴレとシモンとの裏切りの歴史とやらにも一口噛んでいたようだった。
その歴史とやらの真相はともかくとして、ジュリーの前世らしきものがボンゴレ側の人間だったと言う事が誰かに知られれば面倒なことになる、ということだけは幼心にわかっていた。だから自分に関わる誰にも、この事を打ち明けた事は無かった。
そうやって相反する記憶を持ちながらもひた隠しにしてき続けた。黙っている苦痛もそれなりにはあったが、それ以上に面倒事はご免だった。
そんな複雑な生い立ちがあったから、こんな具合に捻くれて成長をしてしまったのだ、と誰にも悪びれることなくジュリーはそう思っていた。己の中にある記憶を隠し続けなければならない事情もあって、昔から嘘つきで適当な態度をとることばかりしていたから、お陰さまで今、彼が一人で勝手気ままに動いていたいても、誰も怪しんだりすることはない。
「それにしても、こうもまあ上手くいくとは思いませんでしたけれどね」
と、ジュリーらしからぬ芝居がかった丁寧な口調で独り言を呟く。その姿にはスペードの影がちらついていた。
何故、彼が今になってこんな騒動を大きくするような小細工をしたのかは、結局ボンゴレが原因だった。
仮にもシモンの一員として居る限りは、嫌でもボンゴレの噂を耳にする。例えジュリー本人が望んでいなくとも、噂の方から勝手に飛び込んでくるのだ。
だから今のボンゴレの噂を聞いた時、遠い昔にボンゴレに居た自分の中のスペードが騒ぎはじめたのだ。今のボンゴレは、自分が求めた理想のボンゴレではないと。
許せなかった。
理屈ではなく、ただそんな感情が沸き起こった。
今まではシモンの裏切りの歴史を聞いたところで、大して憤ることもボンゴレへの恨みを抱くこともなかったジュリーだったから、そこまで強い感情が自分の中から沸き起こるのが、自分でも不思議だった。何故だろうかと考えた時、自分の中のスペードだった部分が、その記憶が、ボンゴレを許そうとはしていない事に気が付いたのだ。
どこに居ても裏切り者のD・スペード。だが、それは全てスペードなりに大切だと思うもののために働いた過程に過ぎない。スペードの存在と働きがあったからこそ、その結果としてボンゴレが成長を果たした部分も大いにある。せめて自分が追い求めた姿のボンゴレであるならば、それでも良かったが、あまりにも今のボンゴレの姿はそこからかけ離れていた。
だからリングという力を手にしたシモンの面々を唆して、わざわざこんな真似を引き起こしたのだ。
ボンゴレもそうだが、シモンの連中も大概間が抜けている、とどこか冷めた気分でジュリーはそう思う。
D・スペードとして幻覚でもって姿を偽り、彼らの前に姿を現した時だって、誰一人として彼の幻覚を見抜くこともなければ、怪しむこともなかった。もちろん、かつてボンゴレの守護者であった者がシモンに力を貸すという言葉を素直に鵜呑みにすることは無かったが、今のボンゴレは認められないのだと話せば、打倒ボンゴレの意志の元に、彼らはあっさりと彼の―D・スペードの言葉を信じた。いくら力を取り戻す機会が訪れたからといって、浮足立ち過ぎている。どいつもこいつも、間抜けにも程がある。
侮蔑と呆れの混ざったため息をつく。
そんな鬱陶しい感情に襲われたのが不快で、気分を変えてしまおうと、改めてクロームの寝顔を眺める。
「いやー、それにしてもクロームちゃんは可愛いよねえ。
ボンゴレにしておくのが勿体ないくらい」
彼女に出会って気に入ったのは本当に偶然のことだ。もちろん、ボンゴレの守護者たちと接触を図り、その力を見極めるという意味では意図的な出会いだったが、ジュリーがクロームの事を気に入ったのは本心だった。
「それに、いろんな意味で使えそうだし……ね」
意味深に呟くその表情は、日頃見せている、明るく軟派な彼のイメージとは裏腹に、何か底知れぬ事を企むものだった。
彼が何を考えているのか、誰一人として知っている者は居ない。知ったところで、誰かが容易にどうにかできるものでもないが。
「クロームちゃんの寝顔見てたいけど、それだと起きた時にびっくりしちゃうかな〜?ちょっと離れておいてあげようかな」
眠っている彼女の顔を覗き込む。近くでじっくり見れば見るほど、可愛らしい。
ついでに唇も奪ってしまおうか、などと調子よく不埒な事を考えなくもないが、そこはそれ、ジュリーは紳士なのだ。キスをするならきちんとお互いの存在がわかっている方が良い。一方的に慰み者にするくらいならばいくらでもできるけれど、それだけではつまらない。
「ほんっと、つまらないよね」
まだ誰一人として気づいてはいない。昔も今も、この自分の手のひらの上で誰もが踊らされていると言う事を。
シモンはボンゴレの事しか見ていないし、ボンゴレもまた、シモンの事しか見てはいない。今はお互いを睨みあう事で精いっぱいの彼らには、よもや第三者の介入によって、いいように自分たちが利用されているなど考えることもできないだろう。
もし万が一誰かがそれに気づいたとしても、それはそれで面白い。その方が何かと張り合いがあるというものだ。
「ひょっとしてクロームちゃんなら、本当のジュリーちゃんに気付いてくれちゃったりするのかな〜?」
にやにやと、まるでゲームを楽しむかのような笑みを浮かべ、ジュリーはクロームの髪に触れた。昏々と眠り続けるクロームは、知らない男に触れられているというのに目を覚まさない。