誘う爆音
そんな空を爆音が切り裂いた。その衝撃に病院の窓枠が震え、ガラスが小刻みに音を立てる。
「誰です、上を飛んでいるのは?」
夏目は前を歩む宗方の背に声をかけた。
彼らは、病院送りになった面々を見舞うためにここにきたのだ。
「昨日、伊達で震電改を飛ばすと報告があった」
「なるほど。しかし、これは少々、傍迷惑じゃありませんか?」
会話を交わしながら、目的の病室に辿りつこうかという刹那、病室の扉が大きく開かれる。それこそ、蝶番が弾け飛ぶのではないか、といった勢いだ。
呆気に取られていると、その扉から坂井とイェーガーが転がり出てきた。二人ともそこかしこに包帯を巻いた姿で松葉杖もついているのだが、哀しいかな飛行気乗りの性、どうやら頭上の轟音に誘われたらしい。
宗方の片眉が跳ね上がった。
「再戦だ、再戦! 覚悟しろっ!」
「上等だ、サカイっ! 受けて立つ!」
言い争う坂井とイェーガーが、宗方たちの脇を抜けていく。どうやら、二人は正々堂々、正面玄関から病院を抜け出す心算らしい。
傷の癒えていない彼らである。本来であれば、止めなければならない。だが、彼らの剣幕に、宗方と夏目は、すれ違った彼らを唖然として見送ってしまった。
宗方が病室を覗き込むと、石坂が独りベッドの上でもがいている。彼は折れた足を吊られているため、彼らを止めようにも止められなかったようだ。しかし、彼も動けたならば、坂井とイェーガーに混ざっていたことだろう。
事実――。
「ずるいぞ、貴様らっ! 俺を置いていくなっ! 俺だってさっさと戻って乗りた……ぃっ!」
そう石坂は喚いていたが、宗方の形相を目にした瞬間、
「計画主任っ!?」
叫んで凝結する。
「あ、あの……えっと、これはその……」
彼は頬を引きつらせ、しどろもどろに口にするが、言葉の体をなしていない。
ここで何が起こったのかは容易に想像がつく。あの轟音が引き金なのだ。
飛行を許可した自分にも責任の一旦はある。
思って、宗方は嘆息した。
「あの二人、まだ安静だったはずですよね。あ、転んだ」
夏目の冷静な指摘通り、足がもつれたらしく絶叫とともに二人揃って廊下を転がっている。それでも、再び松葉杖に縋って立ち上がり、走り出そうとしているのは見上げた根性だ。
「あんの馬鹿者どもが」
宗方の呆れを含んだ罵倒に、夏目は苦笑する。
「馬鹿がつくほど空が好き、ってやつじゃないですか?」
「そうでもなければ、神を見ようとは思わん、か」
音速を超えた彼らは、その先に何を見たのか。
未だかつて、誰も辿りついたことのない領域には一体何があったのか。
宗方は懐を探って煙草を取り出したが、夏目が彼の袖を引く。そして、彼は夏目が指差した先の『禁煙』の張り紙を目にし、不承不承、煙草をしまいこんだ。
渋面のまま、彼は言う。
「近藤整備長に連絡を取れ。馬鹿が二人行くだろうから雷を落としてくれ、と」
宗方や医者がとやかく言うよりも、整備場の最高権力者が相手となったほうが、彼らも従うだろう。
彼らの頭上では、尚もまだ見ぬ世界へと誘う爆音が轟いていた。