地に堕ちた神
膝元ですやすやと眠りにつく幼子に俺はそっと耳打ちする。
「ようやく俺のものになったんだから・・・。絶対に手放さないよ」
この感情が狂喜と呼ばれようともかまわない。修羅になれというならなって見せよう。この子供を掌中に収めるために。
森の木々が生い茂り、人の侵入を阻む鎮守の森。そこにひっそりと暮らしている生き物がいた。
男は子供を連れてこの森で唯一泉がある場所へと向かう。途中動物たちが珍しい人形(ひとかた)の姿に興味本位でこちらを覗いているのが視界に入る。
子供はそんな動物に目もくれず、男ににこにこと笑いかけていた。
「いざや様はどうしていつも真っ黒な召し物を着ているのですか?」
「この方が闇に溶け込みやすいからね。それに俺に似合うのはこの色くらいだから」
いざや、と呼ばれた男は微笑をたたえて子供に答える。けれど子供は男の言葉に小首をかしげた。
「そうでしょうか?いざや様にはほかの・・・。そうですねぇ、あ!藤野色などどうでしょう!明るい紫など、きっとお似合いですよ!」
子供の目はキラキラと輝き、藤野色がどんなに男に似合うのか熱弁し始めた。日の光に照らされて光り輝く紫の色や、風に揺らめく美しい紫色。男の漆黒の髪や、赤みがかった黒水晶によく似合うと言った。
「藤色にしましょう!絶対に似合いますよ!」
「そうかな?」
男は子供の言葉に苦笑を漏らし、こてりと小首をかしげて見せた。子供は何度も首を縦に振る。
「そうですよ!今度下へ降りて行った時でも買ってきてはいかがでしょうか?」
ほほを紅潮させ、自分を輝く瞳で見つめてくる子供に男は口角を上げて微笑んだ。
「ふふ、わかった。今度は藤色の服を見繕ってきてあげる」
「え!?ぼ、僕は別によいのです!いざや様のお召し物を!」
途端にあわてだす子供に、男はケラケラと笑い出した。気にしない気にしない、と言葉を紡ぎながら。
「俺はこのままでいいよ。俺は君が笑ってそばにいてくれるだけで幸せなんだから」
「はい、いざや様」
男の紡ぐ言葉に子供はハニカミながら笑いかける。その笑みを見て、男は笑う嗤う。
だれにも渡さない俺だけの子供。ようやく手に入れた竜の子よ。
その青い瞳に恋い焦がれ、ようやく手にした俺の宝玉。至高の玉。だれにも奪わせはしない。
竜を守護する者たちはここへはたちれない。たとえ神々といえども、この鎮守の森へは早々入れないだろう。
だって、この俺が結界を張っているのだから。この守りを司る俺が、ね。
「いざや様?どうかされましたか?」
「ん?なんでもないよ。ほら、泉が見えてきた。今日は魚の塩焼きだね」
「はい!僕、お魚さん大好きです!」
何も知らぬ俺の竜。そうやって血肉を求め、地に堕ちろ。清廉潔白な竜の体にはもう戻れない。
じわじわと、この掌に堕ちてこい。
「明日はそうだねぇ・・・。猪でも狩ろうか」
「猪より僕、兎が好きです」
「ふふ!良いよ、明日は兎にしよう」
「はい、いざや様!」
誰に渡しはしない。俺の子供。