大空を君に
初夏の柔らかい日差しのもとで見る我が子は、うすぐらい室内で見た時よりも血色が良い。産婆が綺麗に洗ってくれたので多少身綺麗にはなったが、生まれたばかりのクシャクシャとしわのよった顔は猿のようにも見える。体は標準よりも小さいと言われた。うすくはえた髪は自分と同じ鳶色。まだ開かれていない瞳は何色をしているのだろうか。
ふと妊娠中に妻が心配していたことを思い出し、クラトスは軽く握られた赤ん坊の手を開く。小さな指を慎重に開き、指の数を数えた。
「一、二、三、四、五本。左手は……」
と両手両足の指の数をかぞえ、安堵のため息をはく。
五体満足で不足はない。軽すぎる体重が少々気にかかるが、何よりも元気な産声をあげた。良く食べて、その分をすぐに補ってくれるだろう。
我が子の指を数えている間に握られてしまった指をどうしたものかと見下ろして、結局クラトスは握られたままにしておくことにした。
「生まれましたな」
不意に声をかけられて、振り返る。
後ろに立っていたのは、臨月を迎えた旅人に出産が終わるまで、あるいは産後落ち着くまでと、マーテル教会に身をおけるよう世話をやいてくれた司祭だった。
「産声が表通りにまで聞こえてきましたよ」
「元気な男の子です」
目を細めて微笑む司祭に、クラトスもつられて口元を緩める。
「それは何より……おめでとう」
「ありがとうございます」
軽く目を伏せる新米の父親に、司祭は微笑みを深めた。
「いかがですか、初めて御自分の子供を抱いた感想は」
「……不思議な気分です」
短く答えるクラトスにも、司祭が腹をたてる事はない。
言葉が少ないのは飾ることを知らないからだ。無口で無愛想に見える旅人は、つき合ってみれば存外情が深く、気配りがうまい。教会の雑事や力仕事には積極的に協力し、その伴侶である娘も出産前日まで忙しく教会内で下働きをしていた。誠実で勤勉な旅人夫婦は短い滞在時間の中、教会内の祭司長、祭司、修道女、修道僧、下働きにいたる全ての人間の信頼を得ていた。だからこそ、赤ん坊を抱いたクラトスとすれ違った人々の目は優しい。まるで自分の家族が増えたかのように、祝福の言葉を述べる。
なにやら言葉を探すそぶりを見せる旅人に、祭司は苦笑を浮かべた。
我が子を抱いた感想としてはあまりに簡潔だと、もどかしいのだろう。居心地が悪くなってきたのか、少しずつ眉を寄せる旅人に、もう少し赤ん坊を見ていたい気がしたが、祭司はその場を後にする。
恩人の背中を見送ってから、クラトスは腕に抱いた赤ん坊に視線を落した。
クラトスの腕の中で、赤ん坊はまぶたを震わせて手を伸ばす。母親でも探しているのだろうか。じたばたと忙しく手をふりはじめたが、泣き出す気配はない。
つい先程まで、アンナの中にいた命。自分とアンナの生きた証。
初めて抱いた我が子に、ふと思う。
昔……自分の父親も、自分を初めて抱いた時なんと思ったのだろうか、と。そして確信する。きっと、今の自分と同じだろう。
「願わくば、健やかにあれ」
父親の寿ぎの言葉に答えるように、まだ名前のない赤ん坊は手をふった。
「いつか、この父を超えてくれ」
四千年越しに触れた新しい命から、視線を空に向ける。
どこまでも青く澄み渡った空。けれど、クラトスは知っている。それが作られた偽りの空であることを。
「それが叶った時……おまえに本当の青い空を贈ろう」
求める剣をふるうのは、自分でなくとも構わない。新しい世界を拓くのは、むしろ新しい命にこそふさわしい仕事なのかもしれない。
父親の心を知るはずはないが、赤ん坊はぽこりとクラトスを蹴った。
それはあたかも――と言っているようだった。