めかくしセカイ
プロローグ
「もう行くのかい?」
一人、ひっそりと家を出ようとした男に、小さく声をかけた。まだ夜明けを迎えていない町は、薄い墨のような暗闇に包まれながら、昼間の喧騒が嘘のように静まっている。
声をかけられて振り返った男は、一方の男よりも若いようであった。年の頃は一七、八といったところだろうか。忍び装束を纏う姿は、今にも薄闇の中に溶け込んでしまいそうである。
「はい、そろそろ依頼主と約束した刻限になりますので」
男は苦笑気味に応え、まだ朝の気配すら感じられない暗闇に包まれた空を仰いだ。
「今度の任務は長いんだったか。できる限り、怪我なんてしないように気を付けるんだぞ」
彼へ歩み寄り、その横に並びながら言う。男はあげていた顔をこちらに向け、真面目な顔をしてひとつ頷いた。
「もちろんです。任務が終わり次第、真っ先に会いに来ます」
「会いに来てくれるのは嬉しいけど、私より先に、山田先生に会いに行くべきじゃないかい?」
男は困ったように眉を下げ、それからこちらの手を、まるで大事なものに触れるように、両手でそっと包んだ。
「つれないことを仰らないでください。父上にも勿論会いに行きますが、私は誰よりもまず貴方に会いたいんです」
「……相変わらず直球だね、君は」
頬が僅かに熱くなるのがわかった。同時に、今が明け方の前で本当によかったな、と思う。おかげで見られずに済んだ。
「ははは、ありがとうございます」
「別にほめたわけじゃないぞ。……ほら、私なんかと無駄話をしていないで、さっさと行っておいで」
急かすように背を思い切り強くたたく。突然だったこともあり、彼は数歩たたらを踏んだあとで、苦笑交じりにこちらを振り返った。
「本当につれない方だ。……それではまた後日、お会いしましょう」