天上の青4
どうやら、私は、椅子に座っているらしい。
マスター?
呼びかけようとして、声が出ないことに気づいた。
それだけではなく、体も動かない。
マスター!
不安に駆られて、自分の主を呼ぼうとしたけれども。
声が出ない。唇が動かない。
立ち上がることも、手を動かすことも出来ない。
どうして?
不安に押しつぶされそうになっていると、突然、見知らぬ女性が、私の顔を覗き込んだ。
「どうしたの、カイト?」
あなたは、誰?
「大丈夫よ。私が傍にいるから。ずっと傍にいるから」
私のマスターは、何処に?
女性は、微笑みを浮かべ、
「だって、私は、あなたのマスターだもの」
違う。
あなたは、私のマスターではありません。
私のマスターは、あの人です。
「心配しないで。ここなら、誰にも見つからない」
女性は、私の膝の上に、頭を乗せる。
「ずっと傍にいてあげる。私が、あなたの傍に」
違う。
私が、傍にいて欲しいのは、あの人です。
私を、帰して下さい。
マスターの元へ。私の、マスターの元へ。
声が出ない。体が動かない。
不安に押しつぶされそうで、でも、何も出来ない。
マスター。マスター。マスター。
何処にいらっしゃるのですか?
私を、傍においてはくれないのですか?
不意に、女性が頭をもたげる。
目の前に、帽子を手に持った、マスターの姿。
マスター!
「こんにちは、お嬢さん」
「・・・黙って入ってくるなんて、随分不躾ではなくて?」
女性の言葉に、マスターは微笑んで、
「失礼。お声を掛けたのですが、返事がなかったもので」
「返事がないのなら、そのまま立ち去るべきではないかしら?」
女性の声に、苛立ちが込められた。
行かないで欲しいと、心の中で必死に懇願する。
マスター、お願いです。
私も、ともに。私を、あなたの傍に。
マスターは、丁寧にお辞儀をすると、
「こちらに、俺のVOCALOIDがお邪魔しているのは、分かっていましたから」
マスターの言葉に、女性が身を固くする。
「何を言っているの?ここには、そんなものはないわ」
「いいえ。彼のマスターは、俺ですから」
マスターがそう言って、俺に手を伸ばした。
女性が、マスターと私の間に割って入ると、
「違うわ。彼のマスターは、私よ」
違います。私のマスターは、この人です。
「それは、彼が決めることです」
マスターは、そう言って、私のほうを見る。
「お前が望むなら、俺は、お前のマスターだ」
マスター。私は、あなたのVOCALOIDです。
あなただけが、私のマスターです。
「戻ってこい。俺のカイト」
気がついたら、マスターと二人、森の中に立っていた。
見知らぬ部屋は消え、小川のせせらぎと、風が木々の葉を揺らす音がする。
「マスター・・・」
小声で呼びかけると、マスターは、視線を上に向けた。
つられてそちらを見れば、淡い光が揺れて、消える。
「マスター・・・私は、一体・・・」
「気にするな。魂に魅入られただけのこと」
そう言うと、マスターは、帽子をかぶりなおして、
「心配はない。お前が望む限り、俺は、お前の傍にいる」
私が何か聞く前に、マスターは歩きだし、
「行くぞ、カイト」
「はい、マスター」
私の望みは、あなたと共にあること。
あなただけが、私のマスターです。
終わり