Last Scenes
プロローグ
君は本当は何がしたかったんだい、と問いかけられた。冷たくも温かくもない闇医者の声だ。
決まってるだろ、と臨也はわらった。
あの化け物を、弄んで傷つけて跪かせてやりたかったんだよ。そう、それからね、それから。
○
ああ、今年の夏は、これから幾度夏がめぐってきても、塗り替えられないんじゃないかと思うほどの酷暑だね。盛夏のまま、月日が流れるのを忘れてしまったんじゃないかと思うくらい、いつまで経っても暑いままでさ。9月に入っても、天変地異の前触れかと思うくらい、相変わらずの猛暑日が続いてうんざりしていたんだけれど、やっぱり秋も近いね。日が暮れるのが早くなってきた。夜長の秋はやはり読書なんてしながら過ごすのが乙なものだけれど、今日は少し、この長い夜を使って話なんてしようかとも思うんだ。
というのもね、数日前僕の友人が家にやってきて、なかなか馬鹿馬鹿しい、いや意味深長な話をしていってね。それを聞いて欲しいんだよ。どうかな。
この友人というのはまあ、いわゆる重度の中二病に罹患していてね。彼はもう二十歳を超えて何年も経っているんだけど治る兆しはないどころか、年々悪くなっているよ。おそらく彼の場合は不治の病だろう。何せ太陽の照りつける酷暑の日中にファーのついた黒いコートを羽織っているくらいだからね。しかもコートだけじゃなくて、全身真っ黒。趣味は人間観察。どうだい、聞くからに中二病だろう?
頭の回転と顔は悪くはないんだが、どうやら彼もこの夏の暑さにだいぶやられてしまったらしい。普段から中二病くさい言動が、さらに輪をかけて酷くなっていたよ。この友人、面倒だから名前をIと置こうか、このIが何を言い出したと思う?
なんとね、「俺はとても素晴らしい能力を身につけたんだ!」と、こうだよ。「望むように過去に戻れる能力を手に入れたんだ!」だってさ。笑っちゃうよね。中二病もここまで来ると、そろそろいい心療内科を勧めるべきなのか、友人としてちょっと本気で悩みたくなるってものさ。何をうんざりした顔をしているんだい? え、もう聞きたくないって? そんなこといわないで、面白いのはここからだよ。
それでね、この永遠の中二病患者Iが言うには、自分は過去に戻ったんだってさ。
○
まず起点は、この日本がおかしくなったのかと思うほどに暑い夏だった。この夏の暑さに灼かれながら臨也は、強欲な男を相手に情報の見返りを要求していた。
雑居ビルの7階のオフィスで、「いい加減利子をつけて払ってくれないと、あなたの所得隠しの実態をしかるべきところに流しますよ」的な、割合穏やかな脅迫まがいの取立てをしたところ、でっぷりと脂ののった中年の男は、愛想笑いに脂汗を滲ませながら、変わった形状のブレスレットを取り出した。華奢な金の鎖に、ほんの少し青みがかった小さく丸い水晶が三つほど通っている。鎖の金は本物だろうから安物とも思えないが、さほど値打ちがあるようにも見えない。臨也が提示した情報の対価には程遠い。
少々剣呑な光を宿して目の前の男を見ると、その男はこう語った。曰く、「これは通っている占い師から貰ったものでしてね。過去に戻って後悔していることをやり直すことができるんだそうですよ」。
臨也は自分に多少の中二病の気があることは理解していたが、そんな馬鹿らしい話を鵜呑みにするほど甘ったれた精神はしていない。そんな話は一笑に付して、その脂ぎった中年男から情報料を取り立てたが、どうしてもいくらか足りないという。持ち前の情報網を駆使して、この男の隠された所得からいくらか一方的に取り上げても良かったのだが、ふと思いついて臨也は、そのブレスレットを手に取った。
「じゃあ、残りはこれで勘弁してあげますよ」
そんなことを言ったのは、ほんの気まぐれでしかない。男のくだらない戯言を信じたとかそういうことではないのだと、臨也は自分の名誉のために断言できる。
暑い昼下がりだった。臨也のオフィスは当然冷暖房完備ではあるが、大きく縁取られた窓から直射日光が降り注ぎ、じりじりと夏を感じる。その中で、臨也はその金のブレスレットを眺めていた。
過去に戻れる、馬鹿馬鹿しい。そう思いながら、もし自分が戻るとしたらやはり高校入学当初だろうと考えていた。あの化け物との関係をやり直せたなら、きっともっと楽しい未来が開けていたはずだ。そうだな、まずはこんな風に過去を変えるのはどうだろうか。
と楽しい夢想をしていたとき、臨也は自分が経っている場所が、愛すべき自分のオフィスではないことに気付いた。くすんだ白に、安っぽいリノリウムの床。立ちすくむ臨也の周囲でざわめく声は、妙に浮かれている。紺の服装の一群。その服に見覚えがあった。出身校の制服である。
周囲の人間は、皆一様にやけに初々しい母校の制服を着込んでいた。自身の格好を見下ろすと、やはり臨也もその代わり映えのない制服に身を包んでいた。黒板に、綺麗に並んだ机。間違いようがないほど、それははっきりと学校の風景だった。
まさか、と思いながら臨也はベランダに出る。ぞろぞろと浮き足立って登校する学生たちが見えた。そしてその中に、一際目立つ金の髪を発見する。臨也が現在知っている彼よりも、かなり顔が幼くまだ成長期の体格をしてはいるが、見知った姿だ。それは間違いなく、高校入学当初の平和島静雄だった。
オフィスにいたはずなのに、気がつけば高校入学当初にタイムリープしていました。
という、まったく現実味のない事態を、折原臨也は現実感を伴わずに受け止めていた。新羅も門田も、臨也が知るより随分と若い格好で登場してきた。しかしそれは、記憶にある高校生の彼らそのものだ。担任の教師も、クラスメイト達も、薄れかけていた記憶の通り。当然臨也自身も、高校当時の姿に戻っている。異なっているのは、臨也の脳に高校時代から23歳までの成長の記憶が残されているということだった。
こうなってくると臨也もさすがに、脂ぎったあの中年男の言葉を意識せずにはいられなかった。すなわち、「過去に戻って後悔していることをやり直すことができる」のだ、と。
臨也は上等な人生を歩んでいるとは思っていないが、それなりに自分の人生が好きだった。それでも、唯一の汚点があるとすれば、自分の思い通りにならない喧嘩人形のことであろう。
――出会いからやり直せたのなら、もっと思い通りに動かせるコマに仕立てられるはずだ。
それに、望んだ時点に戻ることができたのだから、望むとおり23歳の時点に戻ることも可能なのだろう。
そのとき臨也は、やり直したいゲームのリセットボタンを押すような軽い気持ちで、見知った高校での見知った学園生活をしばしエンジョイすることを決めた。
作品名:Last Scenes 作家名:サカネ