Last Scenes
目に付いた不良風の数人の集団を顎で示して、「あいつらをボコってきて」と頼めば、嫌悪感を丸出しに臨也を睨み付けてからもやる気がなさそうにその集団に乱入していったし、何よりも臨也がナイフでその肌を裂いても、それに応じて戦闘意欲を燃やすのはその鋭い視線だけ。じっと己の掌を握りしめて耐えていた。特異な体質のせいで臨也が肌を裂いたときも痛みは感じないかもしれないが、ギリリと音が聞こえそうなほどに握り締められたその手は、明らかに爪が皮膚に食い込んでいた。相当に悔しかったのだろうが、それでも静雄は臨也との誓いを守った。
だから臨也は失念していたのだ。この男は、臨也の思惑通りには絶対に動いてくれない化け物だということを。
最初の違和感は、むしろ臨也の内面に起因する。静雄に気まぐれに喧嘩をさせても、また気の赴くままに傷つけても、臨也の体内をうごめく熱がおさまる気配をみせないのだ。臨也の思うままに動き、臨也の望むままに跪く平和島静雄を手に入れたというのに、ちっとも満たされない。
「なんで手前は俺に突っかかるんだ」
ある日、気まぐれにその体を組み伏せると、かつて孤高の存在であった獣はそう聞いてきた。臨也にとってそれは愚問以外の何者でもないと感じたが、このシーケンスの静雄静雄が臨也に唐突に脅迫される背景を理解できなのも当然だろう。
「君が目障りだからだよ」
臨也は少し傷んだ彼の金髪に指を絡めながら言い捨てる。静雄はその感触を嫌がるように顔を背けたが、臨也がぐっと顎を掴むと、もう抵抗はしなかった。軽めの薬品を投与してあるので、どうせ大した抵抗はできないのだが。
「めざわりならほっとけばいいだろ。なんで俺にかかわるんだ」
薬の効果か多少舌足らずな口調で静雄が問いかける。臨也は一瞬動きを止めた。
「…何でだろうね。何でだと思う?」
「…知るか」
吐き捨てるように静雄が答える。臨也も、自分の行動の源に横たわり、ふとした瞬間に姿を垣間見せるその問いに、静雄が答えをくれるとは思ってはいない。どうして、無視できないのか。本当は静雄に何がしたいのか。
こうして無理やり跪かせても満足できないというのなら、このシーケンスで臨也がしてきたことは何だったというのだろう。思わず自嘲の息が零れた。
口元を笑みの形に歪めた臨也を見て、静雄は「おかしなヤツだな」と言い捨てた。今更な言葉だ。おかしくなければ、脅迫のネタを作る以外にどうして静雄を押し倒したりするというのか。
臨也は話を終わらせるように再度静雄の髪に触れた。静雄はその感触にぎゅっと眉根を寄せる。その嫌悪感あらわな表情を見て、臨也はまた満たされないという感情が自分の中で燻ぶった。
満足を得ないままのシーケンスの終わりは、あっけないものだった。それはあっけなくて、にもかかわらず憎々しいほど鮮やかなものだった。
幕切れの会場は、例の廃ビルだった。
臨也は静雄をそこに呼び出して薬を打ち、戯れにその体に触れていた。ここ最近の静雄はすべてを諦めたかのように、触れてくる臨也に対してただ目を伏せて時間が経つのをじっと待っているだけだ。
まだ日の高い時間帯なので、ガラスの嵌められていない大きな窓枠から青い空が覗いていた。綺麗に澄み渡った晴れの日だった。差し込む日の光が、伏せられた白い瞼を透かしていた。
そのすべてを諦め、それでいて拒絶する表情に苦笑して、臨也はその体から離れた。都会なのに辺りは驚くほど静かだった。その静寂に誘われるように臨也は、ガラスのない窓枠へと向かった。隙を作ったのは、この一瞬だ。ほんの数秒。だがそれは、このシーケンスの幕切れを招いた。
臨也が目を逸らした一瞬のその隙に、力なく横たわっていたはずの静雄が動いて、投げ出された臨也の鞄から先だけを覗かせていた携帯電話を掴んだのだ。
臨也がそのことに気付いたのは、静雄がそれを握りこんだ瞬間だった。薬が効いていたからろくに動けないはずだと踏んでいたのだが、いつのまにか多少の耐性がついていたのか、それともお得意の火事場の馬鹿力のなせる業だったのか。
静雄はそのままその携帯電話を握りつぶそうとしていたようだった。その携帯電話には、脅迫のネタとなる動画が入っている。少し冷静に考えれば、貴重なデータなど携帯電話から他の媒体に移している可能性が高い。だがそんな考えに、静雄は至らなかったようだ。
さすがに携帯電話を握りつぶすことはかなわなかったらしい。静雄は小さく舌打ちをした。
「シズちゃん、無駄だよ。さあ、それをこっちに渡して」
「…触んな!」
臨也が差し出した手を、静雄が跳ね除ける。やはり薬の影響があるのだろう、それは普段の喧嘩人形からは考えられないような弱々しさだった。だが、その視線に宿る光は、いつもの静雄のものだ。剣呑で、鮮やかで、見るものすべてを焦がすそれだ。
静雄は鋭敏さにかける動きで、それでもしなやかに臨也の脇をすり抜け、窓枠に縋った。強い光の中で、見慣れた制服の白いシャツを羽織った静雄の体が日に透ける。
窓から逃げるつもりなのか。臨也たちが今いるのは3階だ。普段の静雄にとってはどうってことのない高さかもしれないが、今は多少事情が異なっている。携帯電話を握り締めたままもう片方の手で窓枠を掴む静雄の姿を、臨也はごくりと唾を飲みながら見た。
「…さっきシズちゃんに打ったのは筋弛緩剤だよ。今のシズちゃんなら、ここから落ちれば多分、それなりのダメージは受ける。危うく死ぬかもね」
この裏は茂みだ。静雄なら死ぬことはないだろう。だがそう圧力をかけて、静雄の動きを封じたかった。だが、この男は結局、臨也の思い通りに動いたりはしないのだ。
静雄は臨也を睨みつけ、そのまま不敵に笑った。
――ああ、この場に留まるつもりなど更々ないのだ。そう悟る。
静雄は死を意識しているわけではない。死ぬ気なんてまったくないはずだ。だが、ここに留まるつもりもないのだ。
静雄は窓枠にほぼ腕だけで縋るように上がり、臨也を見た。静雄の姿が、馬鹿みたいに青い空に溶けそうで、急激に恐怖がわいてくる。無駄だと知りながら、臨也は呼びかける。
「ねえシズちゃん、待って」
「臨也。これからも手前にそんな支配者みてえなツラで見られるくらいなら」
静雄はいっそ冷静にそう言い、窓の下を見てから、不安定な体勢で空を仰いだ。
頭は真っ白で、ただ体勢を崩して行く静雄に向かって走り出した。ほんの数歩の間が、酷く長い。長くて長くて、もう永遠にこの距離は埋まらないのかもしれないと思った。それは、酷い、恐怖だった。
作品名:Last Scenes 作家名:サカネ