Daybreak
も依存して生きる。社会の中でしか生きられない、人間という生き物は、そうや
って生きていくしかできない。彼もかつては人間で、傍に居て欲しいと大切な人
に対して思っていた。依存していた。けれど、全てを破壊したのは他ならぬ彼自
身だった。一人は兄、そしてもう一人は白銀の、美しい造形をした鬼の王。彼の
最後の、愛した人だった。尤に500年は生きただろう、銀の災厄とも言われた鬼の
王、バルドゥインはずっと死に焦がれていた。まるでぎゅうぎゅうに人が箱詰め
になった電車独特の圧迫感を持って、死が常に隣り合わせになっている人間とは
正反対に、鬼は生を隣り合わせにしている。無い物ねだりなのは人も鬼も同じで
、人間は生を望むが鬼は死を望む。生きる為に必死でもがく人間。死ぬために必
死でもがく鬼。バルドは半分人間のままの仁介に、永遠という二文字だけでは現
しがたいほど、永い生の終焉の幕引きをされることを望んだ。幕引きの権利は仁
介だけに渡された。他の誰かにこの権利を渡してしまうのは嫌だった。この役目
を果たせるのは自分しかできないと思った、いや自分しか果たせないと信じたかっ
た。でもいくら終焉の時を愛する人が望んでいたとしたって、永遠に別れてしまう
のはつらく苦しい。これが互いにただの人間同士だったら生まれ変わったその先の
来世を信じることができたかもしれない。仁介の胸中に、駆除しようとしても外灯
の周りを飛び続けるのをやめない、小さな害虫のようにちらちらとまとわりついて
消えない、もしもの未来の選択肢。戻れない過去の分岐点まで思考を飛ばして後悔
するという、地球上の生物の中で唯一人間しかできないことはするくせ、所詮鬼で
ある仁介もバルドも、命が尽きた後の行き先は無い。伝説や物語の中で見るような、
魂も身体が滅びるのと同じように業火にほおりこまれ、灼熱の中朽ちていくのでは
ない。堕ちた先は暗闇、闇に取り込まれて、埋もれて朽ちる。跡形もなく。そう知
っていた。分かっていたはずなのに、仁介はバルドとの最後の闘いの末に、心でぼ
ろぼろに泣きながら、両手に力を込めて炎を錬成した。バルドの気が遠くなりそう
な長い一生と、仁介のたった17年間の短い生。到底比べられるような長さではない。
でも、だからこそ仁介がそう思っているように、いやそれ以上に二人で過ごした、
った数日の、確かに心を通わせた時間を幸せだと思っていて欲しかった。そう思っ
ていてくれることを信じることと、自分で出来る限りの、澄んだ美しい炎を捧げる
ことが仁介なりのバルドへの弔いだ。平穏な時間を取り戻す代わりに、永遠に消え
てしまうバルドを見るのが辛くて、仁介は視線を下に向ける。炎は既に自分の手に
宿っている。バルドの身体に炎を打ち込む寸前、上手く形に出来ない、でも確かに
そこにある想いがせりあがってくるのを振り切って、仁介は純度の高い美しい炎を
打ち込んだ。最後に勇気を出してうっすら目を開いた先に見たのは、バルドがかす
かに口を開いて何かを言っている光景だった。自らが放った業火の中、仁介は唇の
動きを辿る。何を言おうとしているのかが分かった時、同時にさっきせりあがって
きた想いの正体が分かった。
"愛している"
身体が炎に焼き尽くされて、瞬く間に消えていく。炭一つ残さずに。
「・・・・・・ぁ・・・・ッッッうッ・・・・うあああああああ・・・・・ッッ」
かつて愛した、銀の美しい鬼が謁見の間から姿を消したのを見た仁介は一気にそ
の場に崩れ落ちた。ただただ泣いていた。泣いても泣いても床は仁介の涙を吸い
取る。涙が溜まって深い水たまりになるのなら、その中に身投げしてしまいたか
った。何もかも、全て投げうってでもバルドと共に生きるべきだった、いや、生
きたかった。あのせりあがる想いを伝えていられたら。愛している。愛している
。たまらなく、愛して焦がれている。それだけ伝えてしまえば、少しだけだった
としてもまだ、二人で、
「ううううう・・・・・ッッッッぁ・・・・あああああああッッ・・・・」
一人も鬼が残っていないかつての不夜城に、仁介の悲痛な叫びだけが響いていた。
それから、自分の想いに対してどうもできなかった、自分への憎しみと、狂おし
いほどの今は亡きバルドへの恋情に呑み込まれるようにして人間としての感情を
全て捨てた。どんなに危機的な状況でも、自分を大切にしてくれた兄を喰うこと
で。兄の五臓六腑が、全身を隈無く満たす甘い毒のような血潮が、仁介の身体を
満たす。バルドもこうして鬼になった。愛する肉親を喰らうという人ならざる行
為によって。兄は肉親ではないが、肉親以上の繋がりを持っていた兄だ。兄の全
てを貪り尽くした後、バルドと同等の行為を行なっていると気付いた仁介は一人
きりの部屋で、半ば恍惚としながら微笑を浮かべていた。愛した人に近づけた、
気がしていた。
鬼になってから30年余り、仁介は一人南ドイツに行き、生きていても価値がない
ような、極悪犯などを中心に食らいながら生きていた。人里に降りることはなか
ったが、ただたまにふと込み上がってくる行き場のない恋情に耐えきれず、人を
食らった。それ聞きつけたのか、風の噂でかつて幼馴染みであり、今では裏で名
が通るまでに腕をあげたハンターである七里がこちらに来るらしい。目的は仁介
だ。それ以外は考えられない。30年前、王がいなくなった鬼の不夜城でただ泣き
叫ぶ仁介を唇を噛んでじっと見ていた七里が来るのだ。面白いじゃないか。仁介
は笑った。七里は仁介を滅ぼす気で来るに違いなかった。それが自分の指名だと
思っているのだ。実に七里らしい。ここずっと負けたことのない仁介は、自分が
負けることを想定してもいないが七里に勝つことを想定してもいなかった。だか
らといって引き分けで済まそうとしているのではないが、おそらく執念深く仁介
を追ってきた七里になら、滅ぼされてもいいと思ったのかもしれない。住まいに
している古びた小屋を出ると、夜の終わりを告げる暁が仁介の目に映った。遠い
遠い地平線からの、薄明かりが真っ暗だった空に明るい色を重ねていく。バルド
もかつて抱いた、一瞬の死に対する憧れにも似た思いのまま地平の彼方へ目を遣
った。暁の光はまるで、仁介が最後に捧げた手向けの炎のように美しくて、見入
った。はっと我に返ると、頬には涙が伝っている。彼方の暁の陽に飛び込んで、
自分がバルドにそうしたように、このまま身を焼いて死んでしまいたいと思った。
当然、飛び込んでいったってどうしようもない。仁介は立ったまま、暁を見ては
恋情に耽る。フラッシュバックするバルドの最期に、胸を押し潰すような苦しさ
が襲ってきて、静かに泣いた。