二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

ピジョンブラッド

INDEX|1ページ/1ページ|

 
――あの、狂乱の夜から何日が経っただろう。

仁介にはもう判らなかった。最初は、判っていた気がする。
あの夜から一日目、二日目はまだ日を数えていられた。窓の向こう、焦らすようにゆっくりと昇ってくる朝日を、鬼に貪られながら、意識の端に捉えるだけの余裕が、理性にあった――……今はもう、ない。

仁介はもう、考えることをやめた。恐怖も抵抗も嫌悪感も後悔も、捨てて只の肉人形になろうと思った。それが一番、今の状況を生きる最善なのだ、と気付いてしまった。
それを証明するように、あの時から兄さんは優しい。舌を千切られそうなキスも、腸を突き破られそうなセックスもなくならないけど、感情が、凪いだ。意識が飛ぶほど首を絞められることもなくなった。
…そして、七里のこと。七里のことはもう、俺の中で古い、忘れたい記憶と化しかけていた。
守ると言ったのに、守れなかった最愛のひと。罪悪感は身を押し潰しそうなほどだった。から、逃げた。従順な肉人形を自分に課すことで、記憶も何もかも放棄したのだ……最低。

さて、最低とはどういう意味だったか。


「仁くん」

かちゃん。優しいドアの音とともに、猫なで声が仁介を呼んだ。仁介はベッドにあられもない姿で横たわったまま、視線だけをそちらへ向ける。
粘ついたその声色に、条件反射のように下半身が疼く。

「ただいま、仁くん」
「おかえりなさい、兄さん」

兄だったものに挨拶を返しながら、はて、一体いつの間に出ていったのだろうと仁介は思った。兄だったものが、がちゃん、と部屋の鍵を掛ける。

「今日はなァ、お土産があるんだよ」

鬼はベッドの脇に立つと、手にした袋をがさがさと振って見せた。
袋は四角に変形していたので、箱、もしくは箱状の四角いものが入っているのだろうと仁介は推測した。

「何か気になるよなァ?」
「はい、兄さん」
「見たいか」
「はい、兄さん」
「そうかそうか。仁くん頼みじゃ、しょーがねェなァ~~」

鬼は人間だった時の名残を残した笑みを、しかしだからこそ人間とはかけ離れた存在になってしまったと切実に訴えかけてくるような笑みを浮かべると、袋へと手を突っ込んだ。
取り出されたのは、重厚な木箱。黒々と輝く漆を塗られ、所々金箔の貼られた手の込んだ箱だった。

「ほら、綺麗だろ」
「はい、兄さん」
「でも土産はな、これの中身なんだ。見たいだろ?」
「はい、兄さん」

鬼はまた笑うと、木箱をベッドに置いて蓋を外した。そして中から、白布を掛けられた塊を、両手で取り出す。大きさは人の頭くらい。鬼がにやにやと笑った。

「仁くんにプレゼントだよ…ほら」
そう言ってぱらりと白布を捲る。現れたのは、

「…………」
「ほら、すげえだろ、きらきらして…箔濃(はくだみ)って言うんだよ」

そして仁介へ、ボールを投げるような気楽さでそれを投げた。仁介は寝転がったまま、それをなんとか受け取る。大きさはボール大だが、ボールよりもずっとずっと、重い。


それは、頭蓋骨だった。仁介とあまり変わらない年くらいの、青年と大人の狭間くらいの人間の頭蓋骨。
しかし色は白ではなく、金箔を貼られて金色で、ぽっかりと空いた眼窩には大粒のルビーが押し込まれていた。ピジョンブラッドだ、と鬼は言う。


「仁くん、キスしてやれよ、そいつも喜ぶ」
「…………」
「ほら、仁くん」

鬼は仁介に覆い被さるようにすると、横から頭蓋骨を支えた。ずっしりとしていた重さが、仁介の手の中から消える。
仁介は頭蓋骨から視線を逸らして、覆い被さる鬼の表情を見上げた。鬼は笑顔に頷く。仁介は少々躊躇いながらも、頭蓋骨の口内へと舌を差し入れた。

「……っ……」

口内は、金箔と漆で、妙な味がした。そして粘膜も唾液もないからとても乾いていて、舌が口内に貼り付いてしまう。

「む………」

口内には、舌がなかった。乾燥させて漆を塗って金箔を貼った、工芸品だから当然か。
仕方なく仁介は、頭蓋骨の口内を湿らせるように歯列や軟口蓋やらを繰り返し舐める。仁介の顎を仁介の唾液が伝った。

「またヤらしい顔して…仁くんキス好きだなァ」
「ふっ……ふぁい、兄さん」
「続けろ」
「………ん」

仁介は小さく頷くと、また頭蓋骨の口内へ舌を差し入れる。ピジョンブラッドの瞳が物言いたげに仁介を見ていたが、頭蓋骨には舌がないのだ、伝わらない。

「仁くん、その頭蓋骨、誰のか知りたいか?」
頭蓋骨の口内へ、懸命に舌を這わせる仁介を見下ろして、鬼が訊いた。仁介は鬼を見上げて、小さく頷いた。そうか、と鬼が満面の笑みを浮かべる、

「七里」
「…………」
「七里だよ。覚えてないか?」
「……………ぇ」
「お前が大好きだった、七里だよ。お前が守れなかった、俺が殺した七里だよ。
仁くんとキスできて、七里嬉しいだろうなァ…ほら、仁くん。もっとしてやれよ。兄さんが見ててやるからなァ?」
「…………ぁ?」

――なんだって?

「―――ぇ、……え?」
「首だけ切り取ってさ、加工してもらったんだ。すげえだろ?身体は仁くんが食べたしなァ」
「え?」
「何回か食べたろ?肉。味付けしてたから人肉だってわかんなかっただろうけどな」
「………えっ?」

……なにを、言って、

「ほら、仁くん」
ぐっ、と、鬼が頭蓋骨を仁介に近付けた。頭蓋骨と、目が合う。物言いたげな視線が、胸を抉る。

七里。


「七里……?」

仁介は震える指で、頭蓋骨を撫でた。その形の良い頭を、指先が覚えていた。
確かに、七里だった。頭蓋骨はあの時撫でた七里の頭と、寸分変わらない形をしていた。
しかしその表面はつるりと、冷たい。温度がない。皮膚がない。肉がない。髪がない。血が通っていない。目玉がない。舌がない。鼻がない。耳がない。


「………ぃ、や、」
「仁介、嬉しいか?これからはずっと七里と一緒にいれるぜ?大事にしてやれよ?」
「ひっ、……」

仁介は小さく首を振った。いやだ、と何に向けたか判らない否定の言葉が零れる。そうしないと、壊れてしまいそうだった。
もう理性なんて、心なんて壊れたと思っていたのに、まだ生きていたのだ。それが嬉しいのに悲しくて、喜ばしいのに酷い。

ピジョンブラッド。鳩の血。可哀想な鳩。喪われた平穏、は、二度と取り戻せはしない。


かたん。頭蓋骨が笑った気がした。



作品名:ピジョンブラッド 作家名:みざき