うつくしい食卓
約束をすることはなかった。
呼ばれることも、呼びつけることも、生活圏内も交友関係もあまり重ならなければそうないのが一般的だ。なんてこととは関係もなく、そもそも互いに用があることのほうが珍しいのだ。
連絡先くらいは知っていたものの、それが自分たちの間で活躍したことは高校時代からみたって、数える程度しかなかった。仲が良いのか悪いのかと、訊かれても返答など存在しない。
まるで暗黙のルールのように、顔を合わせるのはいつでも偶然で、同時に一方的な臨也の気紛れでしかない。そこにはいつだって、ある程度の裏づけが潜んではいたものだけれど、そのことを口にすることはなかったし、咎められることもないのだと知っている。
緩やかに息を吐き出すようなその行動に、いつも然程の意味はなかった。
「なんだ、来てたのか」
だなんてまるで何でもない風に笑っていつでもあの男が必要以上の干渉をしない理由を知っている。
良い意味でも、そうでなくとも。自分に向けられる意識に感情は、もう何一つ含有されない。ただそれだけの話で、それは臨也にとっては多分珍しい、郷愁にも似ていた。
池袋からそう遠くも近くもないその場所に門田が住処を構えているのは、数年前のトラブルに端を発していた。実家を出たのはそれよりも前の話だったが、少なくともあの頃、暫くの間は仕事でもあまり池袋の街に顔を出すのを見かけなくなったのを覚えている。
似合いもしない青を脱ぎ捨てた顛末を臨也が知っていることも、そこに介在していたことだって、きっと門田は知っているのだろう。だからというわけでもないが、その頃はまだ、一時的な避難場所でしかなかったその場所に臨也が足を踏み入れることはなかったのだ。
足を運ぶようになったきっかけはなんだろうかと思ってももう、今更でしかない。
今となってはただ気に入っているというのもあるのだろうか。気付けばもう何年も、駅から続く森のような公園を端まで抜けたその奥に、ひっそりとその小さな民家は佇んでいた。
花見の季節にもなるとそれなりに声が響いてくるものの、そうでもなければこの辺りにまで足を運んでくる若者はそういない。閑静な住宅街というわけでもなく、けれど街中というわけでもない、独特の静けさが周囲を支配している。
古い民家を改造した室内も、好き放題に生えた庭の木々も、うまい具合に周囲に馴染んでいて、臨也は存外そこを気に入っていた。無防備に開かれた縁側に腰を下ろして見上げる空は池袋とも新宿とも違う、ぽっかりと広い空白だった。
「おなかすいた」
駅から徒歩で来るにしては少しばかり不便で、だからと言ってわざわざ車に乗るまででもないその距離を、時折まるで散歩にでも出たような調子で足を運ぶ。
鍵などかかっていない門を越えて腰を下ろしていた縁側に、垣根の先から少しだけ笑うように肩を竦めた門田が、掌のなかで鍵を小さく鳴らした。
「ちょっと待ってろ」
腹減った、とせがんではキッチンに向かう門田の背を見るように開けた居間で足を伸ばすのがいつもの流れだった。時折顔を出しては飯をせがむだけの関係性につけられる名前はなかった。代わりにと差し出した札は拳と説教で閉じ籠められて、最近では簡単な手土産を持っていく程度だった。
別段、特別に巧いわけでも美味いわけでもない。料理の腕前だけなら自分の秘書のほうが数段上だろうし、普段食べている料理屋のものにも及ぶわけがない。
それでも、鼻歌交じりに叩かれる包丁の音も開け放った窓の向こうから零れてくる生活音も、それはまるで貴重ななにかのようでもあったのだ。臨也の部屋にはないような生活感に満ちた古い家には、大概にして誰かが転がり込んでいることを知っている。
居間の本棚は少しばかり、品ぞろえを変えていた。
「臨也、できたぞ」
雑なようで器用に動く手先が作る料理はひとつの皿に収まるようなものばかりだ。
湯気を立てている器に視線を上げると視界が少しだけ揺れて、息を震わせた。見慣れた色の箸がマットの上で少しだけ転がっていた。