天使の休息
リビングのサイドテーブルに突っ伏して眠りこける美奈子をどうしたもんか、と藍沢はぼんやりと眺めていた。
「よくまぁ、この体勢で眠れるもんだ」
苦笑しながら、その小さな肩にそっと触れる。
『コーヒーぐらいならいつでも淹れます!』そう満面の笑みで言われた時、年甲斐もなく心がざわついた。
嬉しく思う反面、罪悪感がないわけではなかった。
相手は女子高生、多分年齢は…16、7歳。
下手をすると中年作家が未成年を誑かしているように思われなくも、ない。
しかも、姪っこと偽って…考えれば考えるほど藍沢にとって不利なことばかりだ。
「本当に…困った天使だ」
初めて姿を見たときは何とも感じなかったのに、いつからか彼女の笑顔が、姿が、愛しくてたまらない。
自分なんかと一緒に居たって大しておもしろくもないだろう、若い女の子の好みも流行りも分からない、
年だって一回りは離れてる。
けれど彼女はいつでも屈託のない笑顔で笑っていた。
自分がこんなに単純な人間だとは思わなかった。
こんなに、簡単に人は恋に落ちるものなのだろうかと、藍沢は1人ごちる。
「このまま放ってもおけないか…」
美奈子の体をぐっと引き寄せて一気に抱え上げる。
持てないほどの重さではないが、眠っているせいで思ったよりずっしりと感じる。
本人は持ち上げられたことも気付かず、ぐっすりと眠っているようだ。
そのままソファに寝かせて、タオルケットをかけてやる。
もぞ、と寝返りを打っていたが、またぴたりと動きを止め、再び規律よく寝息をたてた。
まじまじとこんなに近くで顔を見たことがなかったので、ついじっと観察してしまう。
「瞳…は多分大きい方だな、鼻は高くもなく、低くもなく…唇は…」
唇は、と目が止まる。
自然と手が伸び、そっと指で唇に触れると、そこからはもう一瞬の出来事のように思えた。
前かがみになり、啄ばむように口付ける。
触れるだけのはずが、その柔らかい感触をもう少し味わいたいと欲張ってしまう。
ちゅ、と何度か繰り返しキスをした。
「んん…」
急に声が響き、藍沢は驚いて顔を離した。
起こしてしまったのか、と焦ったが寝言だと分かるとほっとする。
我に返って、とんでもないことをしでかした、と頭を抱えた。
「……何をやってるんだ、俺は…」
1人舌打ちして口を手で覆う。
顔が熱いので自分でも赤面しているのが分かり、いっそう恥ずかしく思った。
ほんの一瞬の出来事だったが、無意識のうちに行動を起こしてしまったことに自分でも動揺を隠せない。
これでは寝込みを襲ってしまったも同然だ。
「……重症だな」
ハァ、と大きなため息をつく。
よりにもよって、この小娘に、どうやら本気で夢中らしい。
美奈子は相変わらずさっき寝かした時のまま、気の抜けた寝顔だ。
いつまで眺めていても飽きないが、そろそろ仕事に戻らないとまずい。
あの煩い編集に原稿の進行具合に口を出されてはかなわない。
「…おやすみ」
美奈子の髪を撫で、重い腰を上げる。
「せんせい…」と呼ばれた気がしたが、振り返っても彼女はそのまま眠ったままなので、きっと寝言だろう。
耳の奥に響く甘い響き。
どんな夢を見ているのだろう。
後でからかい半分に聞く楽しみができて顔が緩む。
今日はもう彼女のコーヒーは飲めそうにないので藍沢はキッチンへと向かった。
おしまい