あをぞら
たくさんの数の、たくさんの色の糸で、繋がっている。――――そんな、気がしていた。
その糸は、躰中どんな部位にもひたりと絡まっている。自分が、あのひとが、躰を動かすたびにひそと肌を撫でては、その存在を主張する。……それはすこし、ほんとうにすこしだけれど、息苦しいくらいに。
天色の、山吹の、碧瑠璃の。枯色の、青竹の、濃藍の。錆色の、藤紫の、橙の……。ひとつずつ言い上げていけばキリがない程にたくさんの、糸。けれど、
――――どんなに探しても、赤い糸だけは見つかることがなかった。どんなに、探しても。
ふわ、と香ったのは、やはり赤色のそれだろう。その色を目立ちにくくさせるためだけに黒で作られた隊服は、その役目を十分に果たしてはいたのだが、べったりと額に張り付いた髪の艶やかさ、それに、頬へ跳ね飛んだその色は、とてもではないが誤魔化せるものではなかった。特に頬のそれは、そう広く色が載っているわけではないのに、奇妙に艶めかしく鮮やかで、視覚へ強く訴える。
最早その香りは、その場――座敷を中心とした屋敷全体と庭――の空気そのものへ染み付いてしまったようにも思えていた山崎だったが、そのひとの傍へ寄ってみて、違うのだ、と考えを改めた。
……この香りは、『ひと』からしかすることがない。
座敷のほぼ中央に立つそのひとは、やっと思い出したようで、刀身の色を払い、確かな手つきで鞘へ納めた。忙しく死傷者を『搬出』する消毒薬の匂いの彼らは、そのひとを邪魔に思っているようである。そのひとが、未だそこへ立ち尽くしたままだったからだ。
家の中だというのに誰一人として履物を脱がないその光景に、山崎はすこしの違和感を感じた。
ぐ、と右手の手拭いを握り締めた山崎は、なるべく足音をたてて、土方の前へ立った。近付いた瞬間に、ふ――と濃く香るのは、赤色のそれ。けれど土方は、それをまったく気にしていない風で、僅かに目へ掛かっていた前髪を払い、山崎へ視線を向けた。
「どうした、」
「……これを」
そう言って山崎が差し出したのは、握っていた手拭いに他ならない。強く握りすぎていたのだろう、皺の寄ったそれは、沖田にされた入れ知恵だった。土方さんはひでぇかぶり方をしてたから、と。
沖田からは、ひとつも赤い香りがしなかった。ふと思ったそれを口にした山崎が見たものは、沖田の曖昧な笑顔と、ふら、とどこかへ歩き出してしまった背中だった。人の集まり始めた屋敷を離れ、どんどん歩いていってしまう。追いかけようかどうしようか、せめて行き先だけでも訊いておくべきか。迷ったところで、近藤に止められた。
そして山崎は、こうして土方へ手拭いを差し出している。
「悪い」
「いえ。ご苦労様です」
「ずいぶん小奇麗な恰好をしてるじゃねぇか」
「来たの、今さっきなんです」
「あぁ……向こうの、か」
「はい」
今回の手入れでは、二つの場所を一度に押さえる必要があった。この屋敷ともうひとつ、ここの主が囲っている女の家である。比較的穏やかなそちらの班へ配置された山崎は、だから実際刀を抜くようなことはなかったのだ。……もっともこの屋敷の方とて、ここまでの大事になる予定はなかったのだけれど。
土方が顔を擦った。乾きかけていた赤色が土方の頬に伸びる。拭えず、広めるだけのその手つきに、山崎は思わず手を出しそうになった。――と、いよいよ救護の者にぎろりと睨まれる。男二人、いつまでもこんなところにいるなというのだろう。
すみません、と頭を下げた山崎は、ごしごしと頬を擦り続ける土方を促して庭へ降りた。まだ日が低い。――見上げた空には、飛行船。今の江戸の空には、どんな時間でもそれが浮かんでいる。船体に跳ね返された光りが、一瞬チカと眩しかった。
そろそろ『後片付け』も終わる。最後の誰かを連れて、消毒薬の匂いをさせる彼らが去っていき、屋敷内の捜索が始まるだろう。山崎はこれからのことを考えて、土方を見た。……相変わらず、赤い頬をしている。自分は遅かったのだ、と思った。その色を拭い去るには、すこし。
土方は上着のあちこちを探っている。煙草を探しているように見えた。
「副長」
「何だ、」
山崎は、何だかとても厭になった。遅かった自分がではない。土方の赤い頬をとても、『らしい』と思ってしまった自分にだった。土方には、刀が良く似合う。同じくらい、あの赤色も。そう思ってしまう、自分にだった。
「――――何でも、ありません」
土方の運命は、あの赤色に繋がっている。そういうことを考えた。だから、ほんとうは遅いとかいう問題ではないのかもしれない、とも。
土方だけではない。沖田も、近藤も。剣を捨てられなかった者はみな、あの赤色に繋がっている。そんなことを考えてしまう自分がまた、山崎は厭になる。自分はどうなのだと、問う。
ほかの、なによりもつよいむすびつき。――――赤色、の。
煙草を探し当てて土方が、ふと空を見上げた。
決して受け入れてはくれない青色が、そこにはどこまでも広がっている。