深更
ぽかり、と目を開けている自分に、ふと、気づいた。白い霧の中に浮かぶような意識の中、どことはなく感じる違和感に、二、三度目を瞬いて、ぼんやりと考える。
ここは、何だろう。
目に入るのは、薄闇。天井だ、と、頭のどこかで思う。しんと静まった、恐らくは──深更。自分の呼吸音と、遠く小さい、自動車のエンジン音だけが聞こえて、少なくとも、今こうやって見ているのは現実の時間なのだ、と教えてくれる。
見えているのが天井だ、と思って、それから、ああ、自分は今、寝ていたのだな、と考えた。
肌に馴染む、自分の体温がうつった蒲団の感触。何が原因なのかは知らない、というかどうでもいいが、どうやら、中途半端な時間に目を覚ましてしまったらしいと、ようやく状況を把握する。
部屋の暗さは、考えるまでもなく、まだ起床時間には遠いことを示している。もう一度ゆっくり寝直そうと体の向きを変えて、さっき感じた、落ち着かない気分を思い出した。
ここは、自分の家の、自分の部屋。ちょうど良い温度の蒲団にくるまって、時間的にも、何の問題もなく寝ていられる。
にも関わらず、覚える違和感。
暗がりの中でも、どこに何があるのか分かるほどに見慣れた部屋。夜中の静寂さえ、慣れたはずのものなのに。
頬を押し付けた枕から、自分の匂いがする。
(ああ、──の匂いがしない)
頭の中で、誰かが言った。
──開けた窓からは、時おり、良い風が入る。
──グラウンドの、土や緑の匂い。
──たいてい、部屋の中を漂っている、お茶や何かの匂い。
──それらすべてを包み込むような、やさしくも刺激的な、薬品の匂い。
(──が、聞こえない)
車通りの音も絶えた、深夜。
──何をしているのか、ガラス器具の触れ合う高い音。
──薬缶から湯気が噴き出す耳障りな音、その度慌てて立ち上がる、椅子の音。
──カリカリと何かを書き留める、ペンの音。
──誰かが(つまり、自分の友人たちが)入ってきて、それに応える声。
──そして、寝たふりをする自分をそっとうかがう、カーテンを少しだけ引く音。
(そうか。──が、いないのか)
自分の匂いしかしない枕に嫌気が差して、ごろりとまた天井を向き、両腕で目を覆う。今は、よそよそしくも見慣れた部屋の何もかも、見たくなかった。
自分はバカだ、と思う。
どうして、違和感など覚えてしまったのだろう。どうして、そんなもの放って、さっさと寝入ってしまわなかったのだろう。
(考えさえしなければ、気がつかなくて済んだのに)
ここは、学校の保健室じゃ、ない。
ここには、自分しか──いないのだ。
色の落ちた髪と、やさしく細められた三白眼を思い出す。
「……クソっ」
毒づいても、誰も応えない。居心地の悪い部屋に、ただ、声だけが響いて消える。
たまらなくなって起き上がり、明かりもつけずに窓を開け放つ。吹き込む風が自分の匂いを散らして、少しだけ気分が晴れた。
どこか遠くを走る車のエンジン音と、ヘッドライト。その遠慮するような音と光に、まだまだ、夜が深いのだな、と考える。
朝まで何時間もあるけれど、もういっそこのまま起きていよう、と思った。
そうすれば、朝にはきっと、眠くてたまらなくなるだろう。目の下にはクマもできているかもしれない。
そんな様子で保健室に行けば、きっと、ゆっくりと眠らせてもらえるに違いない。
「それとも、また、子守唄でも歌われっかな……」
それより、血相変えてベッドに放り込まれるのが先だろうか。考えるだけで、唇が緩む。
どちらでもいい。あそこで、自分と誰かの匂いのする場所にいられるなら、どちらでもかまわない。
「なあ……先生」
ぽかりと、まだ高いところに浮かんだ月。
朝まで遠いな、と。そう思った。