frost for YOU
珍しく、何か言い淀んでいると思ったら、
「一生のお願いがあんだけどさ……」
ときた。
やけに重々しく言うから何かと思えば、何てことはない。
「もうちょっと、今日、いてもいいかな?」
と、やけに可愛らしいお願いをされた。
常伏中学校の保健室に、僕、派出須逸人が赴任してきて、少し。2年A組の藤麓介くんは、すっかり保健室の常連になってくれていた。
クラスメイトの明日葉くんや美作くんと第一号の利用者になってくれてから、どうやらこの保健室を居心地の良い場所、と思ってくれたらしい。
毎日のようにベッドを借りに来る彼は、気づいたら、窓際の一角をすっかり自分のものにしてしまっていた。
来てくれるのは嬉しいけれど、さすがに授業時間まで、というのはどうかと思ってやんわりと注意してみたら、
「オレ、毎日マジメに授業なんか出たら、ストレスで死んじまうけど、そしたら先生、責任取ってくれる?」
なんて言う。
もちろん、生徒の命に代えられるものなんてないし、正直、保健室に来てくれなくなるのは嫌だから、何だかんだと許してしまっていて、そんな彼が、今さらに、しかも「一生のお願い」なんて付けてまで、どうして、もう少しいていいか、などと聞くのだろう。
占領しているいつものベッドの上で、寝るでも漫画本を読むでもなく座っている藤くんは、何となく、所在なさげに見えた。
開けた窓から、風と一緒に、部活の掛け声なんかが聞こえてくる。授業も終わった放課後、わざわざ僕に断ってまで保健室に残っているからには、何か理由があるのだろうけれど、果たしてそれを尋ねるべきなのかどうか、僕は迷っていた。
何せ、藤くんは猫の性質だから。構いすぎると、嫌がるだろう。
それでも気になってしまうものは仕方なく、とりあえず、彼に嫌がられないことからやってみようと思った。
薬缶から急須にお湯を注ぐ。茶葉が開くのを待つ間に、戸棚から湯呑みを取り出していると、じっと背中を見られるのを感じた。
僕のぶんと彼のぶん、ふたつを手に取って振り向くと、視線はもう外されている。
とぽとぽと香ばしいお茶を注ぐと、ぴくりと反応するのがわかった。本当に、彼は猫に似ている。
「そうそう。今日は、お茶菓子を買ってあるんだけど、食べない?」
「食う」
「うん。本当は、明日みんなが来たら出そうかと思ってたんだけどね。まずは藤くんに味見してもらおうかな」
昔、近所にいた野良猫を思い出す。普段は素っ気ないのに、僕が餌を持ってきているときだけは、調子良く寄ってきたものだ。
何というか……いつも愛想の良い子より、そういう子に懐かれたときのほうが嬉しいというのは、仕方のないことだと思う。
嬉々としてお菓子の包みを破いている藤くんは、年相応で、とても可愛い。
破り散らかされた包装を片付けて向かいに座ると、ちらりと目を向けられた。ほんの一瞬のことだったけれど、何だか、ほっとしたような顔に見えたのは、気のせいだったろうか。
「そういえば、今日はアシタバくんたちは、何かで残っているの?」
「別に? もう帰ったんじゃねーの。知らねーけど、何で」
「珍しいな、と思ってね。こうやって藤くんが学校に残ってるのは、何か用でもあるのかと思って」
「用がなきゃ、残っちゃいけないのかよ」
「そうは言ってないよ。ただ……うん。不思議だな、と思っただけで」
少し不機嫌な顔になった藤くんが、お茶でお菓子を流し込む。
不機嫌というよりも、これはもしかして。
「もうひとつ、食べる?」
「……食う」
ばりばりと、さっきよりも乱暴に破かれる包装。
少し楽しくなってきて、僕は思わず、伸びそうになる手を何とか思いとどまらせることに成功した。
もくもくとお菓子を頬張る藤くんの顔が、何だか、拗ねているように見えて、ついつい頭を撫でてみようかな、などと考えてしまう。危ない。藤くんのことだから、そんなことをしたら、絶対に怒って、下手すると、二度と保健室に来てくれないかもしれない。
でも、少なくとも、と思う。
こうやって放課後、保健室に残っていて。それも、寝るわけでもなく、こうやって僕の前でお菓子を食べているということは、ただの寝場所というわけでなく、この保健室にいたいと思ってくれて、ということだろう。
まるで拗ねているような、子供っぽい顔まで見せてくれて、まるでこれは。
「……一生のお願い、ねぇ」
「何だよ?」
「うん。さっき、藤くんはそう言ったけどね。別に、一生のお願い、なんて、言わなくてもいいんだよ? って、思ってね」
「意味、わかんないんだけど」
「そんな一大決心みたいに言わなくたって、保健室はいつでも君を歓迎するよって意味」
「あ、そう」
ふたつめのお菓子を食べ終えて、ぺろりと指を甜める藤くんの顔には、さっきと少し違った表情。
ほっとしたようでもない、拗ねているようでもない。その真ん中みたいな、全然違うような顔で、少しだけ藤くんはうつむいた。
考えるように首をかしげて、少しだけかすれた声で、言う。
「……アンタは?」
ああ、まったく、この子は。
知っているのだろうか、教師というのは、生徒を甘やかしたくてたまらない生き物なのだということを!
僕の場合、たいていは一方通行に過ぎないのだけれど、だからこそ、こんな風に言われてしまっては、答えはひとつしか出しようがない。
……考えてみると、彼が保健室の常連になったときも、これと同じパターンで押し切られたような気が、しなくもない。
「もちろん、僕も、藤くんならいつだって歓迎だよ」
そう答えたときの、彼の顔。
今日は何て良い日なのだろう。教師になってよかった、と心底思う。
こんな風に、可愛く、生徒が甘えてくれるなんてね。
作品名:frost for YOU 作家名:物体もじ。